大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて


真実の子テトス


 テトスはギリシャ人で、聖書には彼が主を信じるまでどのようにしていたのか何も記されていません。彼 が信仰をもったのはパウロの説教を聞いたからだと思われます。パウロは彼を霊的な子として受け止 め、その生き方が真面目で忠実だったので「真実の子テトス」として紹介しています。 

 パウロは彼が異邦人で、クリスチャンになったからといって割礼を施していません。イエスの十字架の 死と復活によって律法の時代は終わり、恵みの時代になりました。割礼は救いの条件ではありません。 しかし古い生き方をする人は割礼を大切なこととし、パウロは割礼を軽視していると言って、彼に対して 批判し攻撃していました。彼らがその考えを変えようとしないことがパウロのユダヤ人伝道から異邦人伝 道への転換のきっかけとなり、テトスとの出会いにつながっていきました。

テトスはエルサレム教会に貧しい人たちが多く集まり、教会が本来の働きを十分できないことを知らさ れ、早速教会を巡回して愛の義援金をお願いしています。パウロが書いた手紙に彼の名が13回記され ているという事はお互い深い愛と信頼があったからです。そのことからして諸教会も彼がエルサレムの実 情を話す時、彼を信頼したからこそ、義援金を託すことができたのだと思います。

 地中海に浮かぶクレテ島にパウロとテトスが伝道し、信じる者が多く起こされました。パウロはテトスが 人を見抜く力があることを知り、それぞれの町の教会に有能な長老を立てることを依頼しました。この島 は「百町島」と呼ばれるほど多くの町があり、教会が建てられた町々で長老選びも時間をかけながら良き 器を選んでいきました。またコリントの教会で牧会上の問題が起こると三度も出かけ解決しています。彼 は牧師として問題の本質を見抜く知恵ある人で、パウロの右腕としてなくてはならない存在でした。

 パウロはテトスのことを誇りに思い、時にはパウロ自身がテトスに会いたい気持ちを強く持っていまし た。様々な患難の中にいる時、テトスに会うことで慰めを受けています。テトス自身は人を包む優しい心 の持ち主であることが分かります。彼は信仰面においても、実務の面においても、人格面においてもよく バランスのとれた人物であることが分かります。 参照 テトスの手紙 1~3章