大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて


ヤソンとその兄弟たち


 パウロは第二回の伝道旅行の時、シラスと共にテサロニケに来ました。そこは州都で、港として商業や 貿易の中心地として栄えていました。パウロはまず安息日にユダヤ人の会堂に出かけ、そこで大胆にイ エスがキリスト(救い主の意味)であることを伝えました。ユダヤ人の中から主を信じる人が起こされまし た。またそこに集っていたギリシャ人たちや貴婦人も信じ、彼らがテサロニケの教会の基礎となったので す。

 ユダヤ人たちはそのことを妬み、暴動を起こしたのです。伝道者パウロとシラスを探しまわりました。し かし二人を見つけることができません。そこで二人を泊めて世話をしていたヤソンの家を襲い、ヤソンと 兄弟たちが代わりに捕えられました。入信してまだ日が浅いのにも関わらず、思いもよらないことで迫害 に遭遇する羽目になったのです。もしヤソンが家族の中で一人だけの信仰者であれば、きっと家族の者 からも非難されたことでしよう。しかし幸いにも兄弟たちもイエス様こそがキリストであることを信じていた ので、共に祈ったと信じます。このことから分かるように、家族の中に同心の者がいれば、問題が起こっ ても、共に励まし、助け合う事ができます。

 妬みを持ったユダヤ人たちは町の役人のところに出かけ、パウロとシラスは天下をかき回していると言 って不安感を煽り立て、またイエスを政治的王だと言って、ローマに対する反逆罪だといって訴えました。 いつの時代でも迫害する側はもっともらしい理由をつけて迫害をするのです。どのような理由であれ、ユ ダヤ人が訴えた事が立証できず、役人はヤソンや他の人たちから保釈金を取ってその場を治めたので す。ヤソンたちはパウロとシラスが宣教のために多くの迫害を受けながらも、宣教の使命に生き、この町 でも福音を伝えてくれたことを感謝しました。まだ福音が伝えられていないベレヤの町でも福音を伝える 働きをしてほしいと願って、他の教会員と力を合わせて、夜の間に二人をベレヤに送りだしました。

 福音が伝えられるためにはいろいろな協力者が必要です。その一人がヤソンで、パウロの代りに捕え られ、釈放されるためにお金を使っていますが、犠牲に関して何にも不平を言っていません。大切なこと は福音が広まり、失われた魂が救われるためなら、ヤソンのように脇役に徹して、どのような犠牲もいと わない人が今も求められています。 参照 使徒行伝 17:1~10