大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて


祈りの人 エパフラス


 パウロはコロサイ人への手紙の中で、エパフラスを「キリスト・イエスの僕」と紹介しています。二千年前 の「僕」という言葉は奴隷と言う意味として使われていました。救いのためにイエス様が十字架上で命を 差し出されたことを知ったエパフラスは、その大きな愛に応答するため、自分を主の僕として表し、忠実 に従い続けていたのです。

 彼はコロサイ人で、パウロがこの町で伝道した記録は聖書にありません。パウロはエペソの町で3年間 伝道する中で、コロサイを含むアジア州に住んでいる多くの人々がパウロから福音を聞く機会が与えら れました。エパフラスもこの時期に信仰に入ったと思われます。そしてコロサイで伝道し、教会を建て上 げることができました。しかし教会に難しい問題が起り、パウロの指導を受けたいと願いローマに行きま した。私たちも問題が起こった時、一人で解決ができなければ、信仰の先輩や牧師に相談したり、指導 を受けることは大切です。

 彼はローマに来たのですが、残念なことに病気になってしまったのです。パウロはエパフラスを見舞 い、コロサイの教会の問題を聞きました。パウロは問題をどのように取り扱かえば良いかの答えを書き、 その手紙は伝道者テキコによってコロサイの教会に届けられました。エパフラスにとってはパウロがすぐ に返事を書いてくれたことで、心の重荷が取り除かれ、問題を解決するためには、迅速に対応する必要 のある事を学ぶ時となりました。

 エパフラスは病床にあり、肉体的にも辛い時を過ごしていました。そのような中で、彼は自分のことより も愛するコロサイ教会の兄姉のために祈っていたのです。教会員が世のさまざまの違った教えに影響さ れることがないようにと祈りました。信仰者として一人ひとりが成熟し、しっかりした確信を持ち続けること を祈り続けたのです。多くの時間をかけて熱心に祈り続けました。また兄姉の名前を挙げ、彼らの顔を 思い浮かべながら、その人の必要のために祈り続けたことでしょう。他の人のためによく祈り続けられた のは、エパフラスが僕の心をいつも持ち、人々に仕えていたからです。これは牧師の心であり、また先に 救われた者の心でもあります。 参照:コロサイ人への手紙 4:12,13