大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて


高齢の預言者 アンナ


 今月登場するアンナは84歳で、聖書には「彼女は非常に年を取っていた」とあります。その言葉からし ますと弱々しい姿を想像しますが、彼女はなんと現役の女預言者で、神の言葉を求めてくる人に優しく語 り続ていました。エルサレムの宮を離れずに、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていました。自分を 制し、清貧な生き方の彼女に対して、宮に来る人たちは彼女に尊敬の眼差しを向けていたことでしょう。

 祈ることは信仰者にとって何歳になっても出来る大きな恵みのわざです。彼女の祈りの深さから来る知 恵の言葉とこれまでの豊かな人生経験から、人生の指針を求めたり、問題を聞いて欲しいと願う人たち が彼女の周りにたくさん集まりました。 その人々に対して 「では主にすべてをゆだねて祈りましょう 」とい いつつ祈ったことでしょう。

 彼女は救い主の出現を待ち続けて、長い間祈り続けていました。ある日のことヨセフとマリヤが律法に 従って幼子をささげるために神殿に来た時、彼女はたくさんの人々の中に救い主がおられることが分か ったのです。アンナはマリアに抱かれている幼子イエスのそばにいき、長年の祈りが実現したことを喜 び、感謝の祈りを捧げ、人々に救い主を紹介しました。イエス様が山上の垂訓の中で語られた「心の清 い人たちはさいわいである。彼らは神を見るであろう」(マタイ5:8)の言葉を思い出します。彼女の心に ある思いは清く、原語では「清潔」という意味があります。彼女は祈りの中で心が清められ、心が整えら れていきました。祈りを通して心が取り扱かわれ,錬られる中で清い心が与えられ救い主を知ることがで きたのです。それは彼女がいかに深い祈りをしていたかを証明しています。祈りとは生活の必要を求め るだけでなく、もっと深い恵みがあることをアンナは私たちに教えてくれています。あなたの毎日の継続し た祈りはあなたの人格を清めていく大切な恵みです。

 私の母は87歳ですが訪問しますと、先ず3人のひ孫の健康のことを尋ね、私たちのためにもいつも祈 っているよと言います。年齢が上がるとできないことも増えますが、信仰者は祈り手としての務めをアン ナのように生涯現役で続けたいものです。教会の中で表立った奉仕の回数は少なくなったとしても、若い 人たちのために、リバイバルのために祈り続けて欲しいと願います。  (参照 ルカ2:22~38)