大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて

クシ人と祭司ザドクの子アヒマアズ ~答えを持つ人と持たない人~


 ダビデ王の子アブサロムが謀反を起し、ダビデ王は急いでエルサレムから脱出してヨルダン川を越え、 密林の中に陣営を設けました。騾馬に乗って進軍してきたアブサロムは自慢の美しい髪の毛を木にから ませ動けなくなっていた時に、将軍ヨアブによって殺され戦いは終わりました。ヨアブはこのニュースを伝 えるために王直属の奴隷クシ人(エチオピア人のこと)に戦いは終わったことを王に伝えるようにと命じま した。アヒマアズはクシ人の走り去っていく姿を見ながら、わたしにも戦いの終わったことを伝えさせてくだ さいとしきりに懇願したため、仕方なく行かせました。

 足の速いアヒマアズは先に行ったクシ人を追い越し、王のところに着きました。ダビデ王は「若者アブサ ロムは無事ですか?」と尋ねるのですが、それに対してはっきりした情報を持っていなかったので「私は大 きな騒ぎを見ましたが、何事であったか知りません」と答えました。そのすぐ後に王の前に立ったクシ人 は王の心を察して、遠まわしにアブサロムの死を伝えました。

 私たちも聖書を読んで、歴史を知り、多くの人物のことを知っていてもそれで充分ではありません。世 間で言われているイエス様は聖人の一人です。それはアヒマアズの答えのようで、イエス様の本質は何 も分かっていないことになります。イエス様が弟子達に「私をだれというか?」と尋ねられたとき、ペテロは 「あなたこそ生ける神の子キリスト(救世主の意味)です」と答えた時、「あなたは幸いである」と言われま した。(マタイ16:15~17)あなたも同じように言えるならクシ人のように答えを持った人です。

 聖書の最初の質問は、「あなたはどこにいるのか?」(創世記3:9)という神からのものです。他に「真理 とは何か?」(ヨハネ18:38)、また、自害しかけた男の「私は救われるために、何をすべきでしょうか?」 (使徒行伝16:30~34)という質問もあります、あなたはこれらの質問を受けられたらどのように答えら れるでしょうか。普段から聖書を読む時間を持つことは自分自身の信仰の成長のためです。そしてあな たが周りの人たちからの質問を受けた時の準備ともなります。「あなたがたのうちにある望みについて説 明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしなさい」(ペテロ第Ⅰ 3:15)とペテロは勧めていま す。(参照 第二サムエル記18章)