大阪城東福音教会

私の信仰

「カレブに学ぶ 」


 もう40年程前になります。あるクリスチャンご夫婦に男の子が生まれました。その子は「かれぶ」くんと名付けられました。どんな漢字表記だったか、どういう願いを込めて名付けられたかは忘れましたが、なぜか強く印象に残っています。聖書に登場する人物から名付けられたに違いないとは思うのですが、「カレブ」がどんな人物なのか「ヨシュアらとカナンの地を探りに行った」人物という事くらいしか知らずに今まできました。きっと聖書の話の中で何度か聞いているのかもしれないのですが、忘れてしまっています。

 そんな中、礼拝で「ケニズびとカレブ」(民数記14:6~15)と題してみ言葉が語られました。「カレブ」のことが少しずつわかってきて嬉しくてたまりませんでした。それから私は「カレブ」のことが頭から離れなくなり何でもいいから調べずにおれなくなりました。聖書を読んだりインターネットで調べたり、とてもワクワクする時間が与えられました。まだまだわからないことだらけですが、教えられたこととヨシュア記14章からも少し分かち合えたらと思います。

 ひとつめは、出エジプトの後、主がモーセに「わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地を探らせなさい」と言われて、12の部族のつかさたる者に探らせました。40日の後カナンから帰ってきた「カレブとヨシュア」と他の10人のそれぞれの報告と、それを聞いたイスラエルの民の反応です。カレブは「わたしたちはすぐのぼって、攻め取りましょう。わたしたちは必ず勝つことができます」と伝え、他の10人は「わたしたちは民のところに攻め上ることはできません。彼らはわたしたちより強いからです」と。また、この10人の言葉にイスラエルの民が声を上げ泣き明かし、約束の地に入ることはせずエジプトに帰ろうと考えたと、聖書に記されています。困難な出来事が起きたとき私も、時に10人のように、時にイスラエルの民のように恐れと諦めを抱くことがあります。でも、そんな弱い私を愛して罪の中から救い出してくださったイエス様を思う時、カレブのように「主がわたしたちと共におられますから、彼らを恐れてはなりません」と、どんな時も告白できる者でありたいと思いました。

 ふたつめは、主の約束を忍耐を持って信じ従い続けた「カレブ」から学びました。不信仰なイスラエルの民のために40年の間荒野をさまようことになるのですが、聖書には描かれていませんが、主から「私のしもべ、違った心をもっている」と言われた「カレブ」は、きっとイスラエルの民の不信仰な言動をつぶやくことなく受け入れ、滅ぼされる民に寄り添い、約束の地に入ることのできる若い民のためには教え励ましたに違いありません。約束の地カナンに入った後は戦いが続き、主に忠実な「カレブ」の存在はヨシュアにとっては、戦いの中や悩みの中で大きな支えとなった存在だったと思います。

 私もある面で戦いの最中です。問題の大きさや自分の弱さや欠点ばかりを見てしまったり、問題から目をそらしていることがあります。そんな時にはわたしは「カレブ」のような信仰者たちにいつも支えられてきました。私も、主の約束は必ずなるという「カレブ」の信仰に少しでも近づけるよう、主を見上げて従い、私も支えの必要な人たちを少しでも支えさせていただける者にしていただきたいです。そしてカレブの嗣業ヘブロンの地が「こうしてこの地に戦いはやんだ」ように、私の戦いが止むその時が来ることを信じ、忍耐を持って待とうと思います。

  「しかし、主がわたしと共におられて、
  わたしはついには、主が言われたように、
  彼らを追い払うことができるでしょう」
          (ヨシュア記14:12)