大阪城東福音教会

私の信仰

「この地には真実がなく、誠実がなく、
神を知ることもないからだ(ホセア4:1新改訳)」


 2023年4月、双子の子どもたち(娘と息子)は中学校を卒業し、それぞれ新たに高校へと進学する道が備えられたこと心から感謝しています。

 思えば1年前の今頃、子どもたちは受験生。これから不安なところを通ることになるのだろうと心配からスタートした4月でした。娘は1日たりとも学校を休んだことのないがんばり屋。息子は1日たりとも学校に行ったことのない不登校。両極端な二人を支える立場に置かれたこと、今まで気づかなかったことを経験させてもらうこととなりました。二人の置かれたそれぞれの場所で。

 受験生になると、早速保護者同伴の進路説明会が、学校でも塾でも行なわれた。「受験という時期、ぜひ死ぬほど頑張って勉強してみて下さい。人生の中で死ぬほど勉強したという経験は今後の人生において必ず役に立つでしょう。」塾の先生からの言葉。学校も同じ内容の話。子供だけでなく保護者にも同じ意識を持つことが求められている様でした。この言葉を聞いた時、私は何とも言えない違和感に覆われてしまいました。それは常識的に理解でき、受験生には必要な意気込みであることは承知しています。しかし2022年2月、ロシアによって突然ウクライナの美しい街々は戦火によって破壊され、人の命の尊さなどまるで無いかのように一切合切焼き払われた現実。今もこの戦場にいる人たちは、現実の恐ろしさに震え、恐怖と絶望が全ての感情を凍りつかせている。それは、ロシア人も何のために親しいウクライナを攻撃しているのか分からず強いられた場所で息をひそめている。『ロシアがウクライナを攻撃』ニュースから発せられる言葉だけでは伝わらないロシア人の悲しみ、苦しみを感じずにはいられない。2022年2月に始まったこの出来事は、2023年4月になった今も続いている。この戦争は世界中のメディアで報道され、日本でも戦場の様子がリアルタイムで発信された。今を生きる世界中の人が今起きている戦争の時を生きている。また他の国に目を向ければ、軍事政権、内戦により迫害を強いられている弱い立場の人たちが数えきれないほどいる。ひとりひとりが必死になって今の現実を変えようと努力しても、揺るぐことのない悲しみがあふれているように感じる。「努力をすれば報われる」という言葉がどこか虚しく聞こえてしまうほど、今世界は悲しみに覆われている。死と隣り合わせの中にいる人。困難の中で絶望を抱えている人。恵まれた環境の中平和に暮らしている人。それぞれが、この地上で流れている時間を同時にそれぞれの場所で過ごしている。死ぬほど危険な状況に取り囲まれている人。受験に向かって死ぬほど頑張っている人。「死ぬほど」同じ言葉であってもまるで次元の違う世界。目には見えない次元の違う時が同時に流れているのか。違和感が強くなる。自分はどこにいるのだろう。ミサイルの飛んでいない空の下。いつもの場所に立っている。この見慣れた場所はもしかすると虚構の中であるかもしれない。自分は今、いや今まで、事実らしく仕組まれた世界の中で、虚構の時間に追われるように生きてきたのかもしれない。そんな違和感、むなしさを感じずにはいられなかった。