大阪城東福音教会

私の信仰

「コ ロナと踏み絵」


 福音書の風景を 頭の中で再現してみる。イエス様の周りには常におびただしい群衆が溢れていた。そこには多くの病人もいて、人の助けを得なければその場に来る ことができなかった人もいたようだ。イエス様は、ひとりひとりに目をとめて、全ての病を癒されたことが聖書に記されている。中でも、当時一般 の人とは離れて生活しなくてはいけない病気だった人に対しても、直接、手を触れて癒された出来事は、まさに神の愛(アガペー)の極みであ る。(1)
 説教者は言う。「みなさん。イエス様が病人を癒された愛の御手は、あなたにも伸ばされています。あなたもイエス様を救い主として心に受け入 れませんか。」しかし、その同じ口は次のようにも言う。「みなさん。体調の優れない方、特に37.5℃以上の熱がある方は礼拝出席をご遠慮下 さい」

 まだ聖書と出会う前、歴史の授業で「踏み絵」について学んだ。その時に私は思った。「キリスト教とは何と冷たい宗教なのか。」「拒否すれば 命の保証はないのだから、教祖の絵を踏むくらい許しても良いではないか。」「拒否したキリシタンたちが可哀そうだ。」(2)
 しかし、毎週教会に集うようになり、御言を学ぶ中で、信仰の先人たちが踏み絵を拒否した理由が少しずつわかるようになってきた。信仰者たち が踏み絵を拒否した行為を聖書から解釈すれば、それはイエス・キリストを人の前で受け入れたことを意味するのだと。

『だれでも人の前で わたしを受けいれる者を、 人の子も神の使いたちの前で受けいれるであろう』(ルカ12:8)

 彼らは信仰の戦いの勝利者となり、見事に「義の冠」を獲得したのだ。(3)
「それにひきかえ・・・」

 使徒パウロの言葉が身に染みてくる。

『善をしようとする 意志は、自分にはあるが、 それをする力がない』(ロマ7:18)
あぁ、誰がこのみじめな人間を救って下さるのか。
『わたしたちの主イエス・キリストによって』 (ロマ7:25)

 アーメン! 感謝せずにはいられない。

※文中の説教者とは私のことです。
[御言参照箇所]
(1)マタイ8:1~3
(2)マタイ10:28
(3)2テモ4:7,8 1テモ6:12