大阪城東福音教会

私の信仰

「母の軌跡を思い ながら」(後編)


  自宅療養が始まり、1ヶ月も経たないうちに 母の状態は困難になり、12月に入ってすぐ緩和ケア病棟に入院しました。

 それから幾日も経たない12月7日(父の誕生日)群馬から川西へ帰省する新幹線の移動中に父から電話がありました。『今朝病院に行ったら、 酸素マスクをつけていてびっくりした。多分大丈夫やと思うけど。』しばらくしてまた電話『看護師さんから気に入っていた洋服を持ってきてもら えますか。葬儀の準備をした方が良い状態です。と言われたけど、どういうことやろう?』と。夕方に病院にかけつけた時母は、意識がもうろうと し、せん妄状態にありました。家族のことは分かっていましたが、はっきりとした会話のやり取りが出来る状態ではありませんでした。『このまま 母は天に召されてしまうかもしれない』私はいてもたってもいられない思いで、兄と一緒に昔の話をしたり、母に話しかけたりすると『あ~そう やった、あの時は~だった。』と母は当時の事をはっきり思い出し、懐かしげに話したり笑ったり。しばらく話しているうち、母の状態は少し落ち 着きました。その晩私は母と同じ病室に泊まり、眠れない夜を過ごし朝を迎えました。そして不安な気持ちで母に話しかけると、昨日の出来事は 夢?と思わされる程回復した様子。穏やかな中に生き生きとした表情で、はっきり会話をするいつもの母の姿がありました。

 それから私は、時間の限りを母と一緒に過ごし、ゆっくりじっくりいろんな話をしました。信仰の話になると止まらなくなり、あっという間に時 間が経っていました。こんなにも心から母と向き合って長い時間を一緒に過ごしたことはありませんでした。私は母に聞きました。『リウマチの頃 から何度も大手術をしてるけど怖くなかった?私だったら恐怖で潰れそう。』母は『イエス様が十字架にかかられたことに比べたらたいした事な い。手術の度にいつもそう思ってたから怖くなかった。それに麻酔もしてくれるし、病院だし』と。ある時兄が『クリスチャンになったのに、何で こんなに大変なことばかり起こるの、て思ったことないの?』と。母は『確かに大変なこともあったけど、それ以上に恵み、祝福の方がはるかに大 きく多かった。問題も、神様がすべてのことを相働かせて益として下さり、祝福へと変えて下さった。すごく祝福されているからそんな風に思った こと一度もなかったわ。』と。  父は、母が天に召されるまでの約40日の間、ずっと病室で寝泊まりし、母に寄り添い、支え、励まし続けていました。母は『(父は)身体も疲 れるだろうに毎日一緒にいて、支えてくれ、大事にしてくれて本当にとても感謝している。家族みんながよく会いに来てくれて、こんなに大事にし てくれて、病院も至れり尽くせりしてくれるし。今、本当に幸せ。がんになってなかったらこんな風に過ごせなかったと思う。本当にすごく感謝 よ。』と。

 肉体的にはとても厳しい状態の中で、痛み苦しみと戦いながらも『主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』『いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。』  困難に目を向けるのでなく、みことばの中に生きる母の姿を通して、神のことばは生きていることを証してくれた母に感謝。母との素晴らしい祝福 の時、2019年1月15日天に旅立つまでの40日間を与えて下さった神様に感謝します。  (完)