大阪城東福音教会

私の信仰

「母の軌跡を思い ながら」(中編)


 今から6~7年前 母は、台湾旅行からの帰り道 駅のエスカレーターから転び腰を圧迫骨折し、数ヶ月入院しました。その退院後、ホッとしたのもつかの間、庭で転びまた骨折。足にボルトを入れる手術をしました。しかし術後状態が悪く、半年経っても痛みが続き、歩く のも困難な状態。結局入れたボルトを抜く手術をし、歩ける様になるため人工股関節を入れる手術をしました。人工股関節を入れた事で足の痛みは 和らぎ、杖を使えば自分で歩ける状態になりました。再び教会へ通える様になったこと、母はとても喜んでいました。大変な試練を通ったけど、ま た歩ける様になって良かった。これからもいろんな所へ出かけてたくさん楽しんでほしい、と願っていました。

 それから間もなくの2018年2月、母の血液中のヘモグロビンが減少していることが分かり検査。結果は大腸がん、肝臓に転移、ステージ4の 状態でした。その話を聞いた時、私は谷底へ突き落とされた様な心境で、しばらく状況を受け入れる事が出来ませんでした。父や兄、皆大きな ショックを受けている中、母だけは全く動じず『行くところは決まっているから大丈夫。天国へ行くのが楽しみ。死ねるというのも恵みだと思う。 ずっと生き続ける方が怖い。だから何も恐れはないよ。』と。それは本当に心から出てきた母の自然な言葉でした。しかし私は、その言葉を素直に 受け入れる事が出来なくて、何とかして癌が癒されて、元気になってほしい。今まで苦労してきた分、祝福が与えられるはずでは?神様どういう事 ですか?私の心はそんな思いでした。祈り続ければきっと癒されるはず、神様から祈りの課題が与えられたのだと思い、それからは癌が癒されるこ とを毎日祈りました。母はそんな思いを持つ家族、特に父の事をとても心配していましたので、『家族の為に出来るだけの治療はする。頑張る。』 と言って、まず大腸癌を切除する手術をしました。肝臓に転移している癌は取り除く事が出来ない為 抗がん剤治療を始めました。しかし強い苦しみの割りに効果が無く、副作用で気持ち悪くなり、食べる事も出来なくなり、白血球の数値がひどく下がり、身体は弱り 治療出来ない状態。そうなると3週間ほど間を開け、白血球の数値が上がるのを待って、また強い抗がん剤治療。激しい苦しみとの戦いでした。今 思うとあの時の母は、私たち家族の不安になる気持ち、心配で心細くなる思いを取り除こうとして辛い試練を抵抗すること無く素直に受け入れてい たのだと思います。そして辛い治療の間、自分の力で頑張って耐えるというより、神様に全てを委ね、揺るがない信仰を握りしめている姿がありま した。
 そして11月、更に強い抗がん剤(副作用で亡くなることもあるほど強いが、効き目があるかどうかはやってみないと分からない)を使うしか治 療法が無いと言われた時、母は緩和ケアを希望しました。そして抗がん剤治療を止め、痛み止の薬を使いながらの自宅療養が始まりました。私は ずっと癌が癒されますように、と祈ってきましたが、それは私の願い思いであり、神様のみこころは、目に見えるものでなく、深くて広い次元の違 うところにあることを心に思わされました。その時から『主のみこころがなりますように』と祈らざるをえなくなりました。     (次号 後編に続く)