大阪城東福音教会

私の信仰

「御 言を語る」


 私が御言のご用をする上 で心掛けていることが3つあります。
 ひとつ目は文字通り『御言を語る』ことです。御言の時間に御言を語るのは当たり前のことですが、この当たり前のことがおろそかになっている ことがあるからです。聴衆に喜んでもらおうとして、御言以外の耳障りの良い話しを優先するなら、聞く人の心に御言は残りません。御言が残らな ければ当然成長もありません。何よりも御言を優先して、イエス様や弟子達のように、御言を語り、その御言をまた他の御言から解き明かすことの できる者になりたいと願っています。

 ふたつ目は『福音を語る』ことです。使徒パウロが最も大事なこととして伝えた福音は「(聖書に書いてある通り)キリストが、私たちの罪のた めに死んで葬られ、三日目によみがえって弟子たちに現れた」ことです。 (第一コリント15:3~8の抜粋)
聖書66巻は、どの書を開いてもそこにイエス・キリストがおられます。
 「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書はわたしについてあかしするものである。」(ヨハネ5:39)
 ですから旧約、新約のどの書から御言を選んだとしても、そこからイエス・キリストの福音を語ることができるのです。

 そして最後のひとつは『希望を語る』ことです。ある時一人の信徒の方から「メッセージには希望がないといけないと思う」との言葉を聞き、 「確かにその通りだ」と思わされました。聖書の教えの中には、私たちにとって耳が痛く、心が責められるものもあります。聖書に従って「ああし ましょう。こうなりましょう」と語られ、それができない自分を見る時に落ち込み、辛い思いをして家路につく方がないようにしたいのです。厳し い御言も勿論必要ですが、希望の御言は常に語るようにしています。『希望』とは天国です。復活です。永遠の命です。クリスチャンが世の荒波の 中で信仰を全うできるのは、これらの希望があるからだと信じます。

 今、何より皆様に感謝していることは、私のために祈って下さっていることです。祈りの支えなくしては、私がここまで御言のご用を務めること はできなかったと思います。
 「わたしが語るべきことをはっきりと語れるように祈ってほしい」  (コロサイ4:4)
 3つの心掛けを忘れずに、純粋な御言を語ることができるように続けてお祈り下さい。