大阪城東福音教会

私の信仰

ゴスペルを通して福音に出会う


 私はゴスペルを歌うことを通して信仰を持ちました。「ゴスペルを歌うことは私にとって何か」と考えると、 それは「立ち上がること」だと思います。信仰を持つと決意して洗礼を受けたことは、私にとって立ち上が る決意の表明でした。

 私は信仰を持つ上で、辛いことから救われるために洗礼を選択することだけは絶対にしたくありません でした。それは逃げにつながると思えたからです。この姿勢は、特にゴスペルを歌う時の自分のスタンス によく表れています。私がゴスペルを歌うときは、癒しを得るためではなく、何か逆境から這い上がった り、現状から立ち上がりたいという気持ちを表現するためです。

 現状に向き合うなかで、どんなに厳しくてもそれに挑み、強く立っていきたいと思えた時に、自分は信仰 を持とうと決めていました。そしてついにその日が来ました。どうしようもない悲しみの中、崩れそうな体を 必死で支え、最後まで歌い切ったアメリカ・ナッシュビルでの水曜日―。今考えたら、立ち上がりたいとい う意思を全身全霊で表した瞬間でした。

 私が歌うことで何かが始まり、何かが動き出す―。 私に出来ることは、向かい風に何度行く手を阻ま れても、前を向いて立ち上がり歌い続けることだと思います。いつかその風が、歌声と共に幸せな未来 へと走りだす私の追い風となることを信じて…