大阪城東福音教会

私の信仰

信仰生活25年 ~神様から教えられたこと~


 1982年8月16日に(日本UPC教団夏期聖会会場となった)宝塚グランドホテル横を流れる武庫川におい てイエスの名による洗礼を受けてから早25年がたちました。この25年を振り返るとき、心底から喜びを持 って語ることの出来る思い出はいくつあるでしょうか。教会では「コンサート伝道」「クリスマス劇」「さつき旅 行」など様々な活動をしてきました。しかしこれらひとつひとつを思い出すとき、その場にいた兄弟姉妹の 顔をいま大阪城東福音教会の聖日礼拝で見ることが出来ないことに心が痛むのです。彼らもイエス・キリ ストを救い主として心に受け入れた時は、「神様は素晴らしい」「御言葉は素晴らしい」「信仰は素晴らし い」と語り、その証は「キャッスル」(教会月報)にも掲載されたほどでした。そんな彼らが教会を離れた理 由は様々ですが、私たちの側にも問題がなかったかと神様から問い掛けられているように感じます。こ れまで本当に主の御心に従った歩みが出来ていたかということです。「会堂建設」は果たして完全に神様 の御旨に従って行われたのだろうか。会堂建設にあたっては少なからず兄弟姉妹の間で意見の相違が あったことが気掛かりだ。また天国でイエス様に「私たちは一生懸命知恵と力を尽くして宗教法人の認証 を受けました」と報告したならば「忠実な僕よ良くやった」と誉めてもらえるだろうか。日本UPC教団を出て 単立教会となったのも信徒の立場からすれば淋しい出来事であったと思う。そして神観の違いを理由に 多くの兄弟姉妹が教会を去った。ある人は悲しい顔をしながら、またある人は攻撃的な言葉を残し て・・・。

 「主よ、私たちの心はズタズタになりました。なぜあなたはこのような辛い思いをさせられるのですか」
 『あなた方の中に「でも神様」との思いがある。私の言葉に従いなさい』『あなたはわたしのほかに、な にものをも神としてはならない』

 「でも神様、この世の付き合いや富、宝も大切じゃないですか」
 『安息日を覚えて、これを聖とせよ』

 「でも神様、私たちにも生活があります。たまには礼拝を欠席してもいいじゃないですか」
 『十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい』

 「でも神様、私たちなりに精一杯ささげています。いまでも十分じゃないですか」
 『ただ私の言葉に従いなさい』

 「24時間教会」これは私たちの教会に与えられたビジョンです。現状を考えれば想像できないような“ま ぼろし”ですが、ひとたび神様の言葉が発せられるとアッという間にこのビジョンが現実のものとなるでし ょう。私たちのなすべきこと、それは「ただ主の御言葉(ご命令)に従う」ことだといま教えられています。