聖書の学び
「義と聖とあがないとになられたお方」
第一コリント1章30,31節
使徒パウロが第二回伝道旅行で生み出したコリント教会の信徒達に対して福音を伝えた方法、それは人間の優れた言葉や知恵によるものではなく、ただ十字架につけられたキリストをストレートに語ること[1コリ1:23&2:2]でした。十字架の物語はこの世の知恵に照らせば愚か[1コリ1:23]に思える事かも知れませんが、これこそが見た事も聞いた事も想像した事もない[1コリ2:9]神の優れた知恵であり、天地が造られる前から備えられた偉大な救いのご計画[1ペテ1:20]だったのです。十字架につけられたキリストは何ら罪のない義なる(完全に正しい)お方[2コリ5:21]、また聖なるお方[イザ6:3&ヨハ12:41]で、その罪なき全き血潮で全人類の罪の負債を支払い、彼を信じる者を買い取って下さったのです。この偉大なご計画の成就によって、私達は義(罪が消された者)とされ、聖(きよい者)とされて、神の御前に立つ事ができる[コロ1:22]のです。だから私達もパウロのようにキリストの十字架のみを誇り[ガラ6:14]とし、シンプルに福音を伝えてまいりましょう。