聖書の学び
「さばきの御座の前で」
マタイによる福音書25章31~46節
イエス様はマタイ24章で終末の前兆、再臨と携挙、患難時代について教え、続いて25章では天国に入る者と入れない者の違いについて、十人のおとめ(油を備えるか否か)、またタラント(忠実であるか否か)のたとえを語られ、続いてさばきの御座で起こる事を明かされました。それは私たちを救うために十字架で命を捨て、三日目によみがえられた主イエス様が、御使たちを従えて天から来られ、さばきの御座に着かれた時の出来事です。主は全ての人をその場で裁き、右(御国)と左(滅び)に分けられます。その分離基準は愛の実践の有無ですが、主は人の心の内をご覧になりますから、うわべだけの善行[使5:1-10]は無益です。信仰に伴って内側から溢れ出る愛の行い[ヤコ2:17-21]こそが神の目に良しとされるのです。またイエス様が、人の目には小さく見える弱く貧しい者も兄弟と呼んで下さる点[マタ25:40]にも着目です。そしてこの御国の計画は、忠実な信仰者への報いとして、世の初めから用意された優れた神の知恵である事に感謝しましょう。