聖書の学び
「『平和の君』が生まれた」
イザヤ書9章6,7節
紀元前700年頃に預言者イザヤを通して、キリストがどのように呼ばれるお方であるかが示されました。その一つは『平和の君』との称号でしたが、人類の歴史を見ると、キリスト誕生前後で争いが絶えたわけではありません。イエス・キリストご自身も「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな」[マタ10:34-36]と教えられています。では、キリストによる平和とは何でしょうか。それは人と人の間の平和よりもはるかに重要な、神と人との間の平和(和解)です。聖であり義である神は、決して罪あるままの者を義とはされません。しかし罪人がその罪の代価を自分で払う事は不可能[詩49:7-9]です。だからキリストが神と人との仲保者となり、罪なきご自身の命を人類の罪の代価[ヘブ9:15]とされ、両者に和解を成立させて下さったのです。更には、キリストを信じる者は誰でも、キリスト再臨後の千年王国[黙20:4,イザ11:6-8]で、またその後の新天新地(天国)[黙21:4]において、万物間で永遠に続く平和な世界が約束されているのです。『平和の君』に感謝!