聖書の学び
「主を知ることを誇りとせよ」
エレミヤ書9章23~26節
南ユダ王国は、不信と偶像礼拝の罪を繰り返したため、主なる神は預言者エレミヤを遣わし「悔改めねば、敵の攻撃により災いを受ける」[エレ1:13-16]と警告しました。しかし、南ユダの人々は、エレミヤの警告に耳を傾けず、幸いを得るチャンスを自ら手放したため、ついに敵国バビロンに捕囚されたのです。彼らの選んだ生き方は、不正と悪、偽りに満ち、決して主を知ろうとはせず、自分の知恵、力、富を誇りとした道だったのです。「神の愚かさは人よりも賢く」[1コリ1:25]、「人の助けはむなしい」[詩60:11]、「人のいのちは持ち物によらない」[ルカ12:15]のですから、彼らの誇りは主の御前では価値無きものです。真に誇りとすべきは、主はいつくしみ深く[1ヨハ4:10]、公平で[ロマ1:16]、正義のお方[詩11:5-7]であると知る事であり、主は福音(十字架の贖いと復活の命)の成就を通して、これらを示して下さいました。誰でも主イエス様を心から信じる(心に割礼を受ける)事で、幸いを得る者となれるのです。罪を悔改め、日々主を知る事を切に求め[ホセ6:3]ましょう。