聖書の学び
「見えない人たちが見えるようになる」
ヨハネによる福音書9章35~41節
道で乞食をしている盲人を見た弟子達が「この人が盲人なのは誰の罪のためか」と尋ねた時、イエス様は「誰の罪のためでもなく、ただ神のみわざが彼の上に現れるためである」と明言し、盲人の目にどろを塗られました。この言葉は盲人にとって希望の光となり、彼がイエス様に命じられた通り(従順に)シロアムの池で目を洗うと見えるようになったのです。これは「救主が盲人の目を開く」[イザ35:5、42:6,7]との預言の成就でした。もと盲人は、癒しの体験を周りの人達に大胆に証言し、また主イエス様を拝する者となりました。一連の出来事で最も重要なのは彼の霊の目が開かれた点です。救いの道が見えない人々(霊的盲人)の目を開く御業こそがイエス様の福音(十字架の贖い・復活の命)の目的だからです。「自分は見える(自助努力で救われる)」と言い張る人は罪が残ったまま[ヨハ9:41]です。唯一の救主(イエス様)を信じ(自分自身を差し上げ)て罪のどろを洗い流し[使22:16]、私達も霊の目で救いの道を明瞭に見る者としていただきましょう。