聖書の学び
「砕けた魂、悔いた心を」
詩篇51篇
詩篇51篇はイスラエルの王ダビデが預言者ナタンから姦淫と殺人の罪を責められた時[サム下11,12章]に彼の祈りとして著したものです。ダビデは罪を素直に認めて神に赦しを願い求め[51:1-4a]ました。そして神の裁きの正しさを告白し[51:4b]、神の赦し(清め)で罪が洗われるなら、雪よりも白くされると感謝[51:7-9]しています。さらに「正しい、聖い、自由の霊」の注ぎで、罪の奴隷状態からの解放を求め[51:11-13]、罪赦された恵みを証と賛美で人に伝える者となしたまえ[51:13,14]と祈っています。51篇が教える罪赦しの最重要点は「砕けた魂,悔いた心」[51:16,17]です。いかに高価な物質も罪を赦す力を持ちません。神が受け入れられるのは物質ではなく、心を砕いて徹底的に悔改める魂です。ダビデが大罪を赦されたように、私達も心から悔改めて神に立ち帰るなら、神は裁きの日に、私達の罪を消し去り、(永遠の)命を与えて[エレ50:20]下さいます。そのためにキリストが十字架で我らの身代りとなられたのですから。