聖書の学び
「若い時のくびきは良いこと」
哀歌3章27-33節
南ユダ王国は、主なる神の度重なる警告(預言)にも耳を傾けず、その罪(不信と偶像礼拝)を離れなかったため、バビロンに敗れ、都エルサレムは廃墟と化しました。預言者エレミヤは都と民の悲惨な姿を目の当たりにし、涙を流して嘆き、この哀歌を記しました。しかし哀歌には嘆きだけではなく、後の日の希望が記されており、またその中にイエス様を見い出す事もできます。神が人となって来られた救主イエス様の歩みは、まさにくびき(苦難)を負い[3:27]、十字架の死に至るまでも黙して歩み[3:28]、「御心のままに」と遜 って祈り[3:29]、一方的なはずかしめをも忍ばれた[3:30]人生でした。神は私達を愛するがゆえに同様のくびき(苦難)を負わされる[ヘブ12:6,哀3:33]事がありますが、それは苦難を通して神に近づき、同じ苦難の中にある人を慰める者[2コリ1:4]として下さるためでもあるのです。そして後日、悔改めてエルサレムが再建されたように、くびきを負う者には来るべき御国でとこしえの平安[ヘブ12:11]が約束されているのです。感謝!