聖書の学び
「わたしは、ねたむ神(熱情の神)」
出エジプト記20章4-6節、申命記4章23,24節
“ねたむ神”と聞くと、何か違和感を覚えてしまいます。しかし、新共同訳聖書では“熱情の神”と訳されている事、また“ねたみ”の要因は神(夫)との契約を破って信仰者(妻)が行う偶像礼拝である事から、“神のねたみ”とは「神が激しい熱情をもって、愛する者を偶像から取り戻そうとされる思い[ヤコ4:5]」とも言えます。偶像礼拝には、人の手で作った像を拝む事だけではなく、強情な心(神の御言よりも自分の思いを優先させる心[サム上15:23])も含まれており、神の熱烈な招きの声に応じずに偶像礼拝を続ける者には、厳しい裁きが定められています。やがて天と地が一掃される日[ゼパ3:8,2ペテ3:10]が来ますが、その時、罪びと(神にそむく者)は耐えられない火に投げ込まれて永遠の滅び[イザ33:14]に至るのです。一方、神の熱烈な愛(御子の十字架[ヨハ3:16])に応答して、神のもとに帰る者には、高い所(天国)における永遠の(命の)パンと(命の)水[イザ33:15,16]が約束されています。神の熱い愛に応えて、この約束を手にしましょう。