メッセージ
「ノドの地からエデンへ」
牧師 大倉 昭元
マンション生活をはじめてもうすぐ二年になろうとしています。私が住んでいるところは二十四世帯で比較的規模の小さいものですが、挨拶をかわすのは数人だけです。同じ階でありながら一度も顔を合わせたことのない方がほとんどです。勿論引越して来られても挨拶はありません。京橋近辺のマンションにトラクト配布に出かけますが、表札のかかっていないところが多くあります。都会生活は一見他人とのわずらわしい関係から解放されて自由をエンジョイできるように思えるのです。
このような生活を考えていますとき、聖書の一ヶ所を思い出しました。創世記四章にカインが登場します。彼は弟を殺した為にエデンの東、ノドに住まなければならなかったのです。彼はこれまでかかわりのあった人達と別れました。これで自分の過去を知る人がいないということで安心感があったことでしょう。現実はどうだったでしょうか。ノドの意味は「さすらい」です。これは、単に地名をあらわすだけでなく、彼の心の状態をあらわしています。再出発を願ったものの、神と人から離れた彼は一時的に自由を楽しめたかも知れませんが、結局はさすらい人として不安な生活の中に落ち込んでいったのです。
人間は一人で生きていけるでしょうか。答は「ノー」です。お互同志がかかわり合いを持ちながら生活しているのです。しかし、最近個人生活を何んとか楽しませようとする製品がふえてきました。ラジオはヘッドフォン付き、おもちゃはゲーム・ウォッチがその代表的なものです。お金にしましても親しい人をわずらわせなくても簡単にサラ金を通して手にすることができます。
ここでもう一度人間とは何かを考える必要があるのではないでしょうか。カインは罪を犯した為にノドの地においやられたのです。本来あるべき状態から移されたのです。根本的にはカインの罪にありました。
罪は神と人との関係を打ち壊してしまったのです。人間の外側はいくらでもかえることができても、心の中の罪はどうすることもできません。その為に神が人となられたイエス・キリストが十字架にかかり、身代わりに罪の刑を受けて下さいました。こうしてノドの地からエデンの園に帰る道が開かれたのです。あなたは今どこにいるでしょうか。ノドの地にいるなら、イエス様を通してエデンの国に帰ろうではありませんか。
*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1983年 3月号を掲載いたしました。