大阪城東福音教会

メッセージ

「賢さのみなもと」

牧師 大倉 昭元


 『それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである』(マタイ7:24, 25)

誰でも賢くなりたいという願いがあります。アダムの賢さは自分の目で見て正しいとするところにありました。禁断の木の実を見た時、それは彼にとって好ましいものにみえたのです。現代も同じアダムがたくさんいます。車を購入するのに性能よりも、スタイルの良さが買い手の第一条件となっています。最近では男性までが化粧品を用いるようになり、外面の美しさに時間をかけています。

 クリスチャンは外側よりも内側に目を注ぐ必要があります。京橋近くの大阪ビジネス・パークに高さ150メートルのツインビルが建っています。西日本一高い建築物ですが、人々は外観に目をうばわれるばかりで、その土台に目をやる人はいません。でも土台がしっかりしているからこそ高層建築物がたてられたのです。

 人生にも、しっかりした土台が必要です。試練、困難等の嵐がかならずやってくるからです。イエス様は『私のことばを聞いて行う者』は賢い者だと言われました。毎週礼拝で聞いたみ言の実践を求めておられます。『悔い改めよ』と示されたら、自分の心を点検し、示された罪を悔い改めましょう。『洗礼を受けよ』とみ言から語られたなら、み言を信じて受洗することです。『祈れ』といわれたら、教えられた通りに祈ろうではありませんか。時々アダムが神のことばに対してなぜという疑問を起こさせるときがあっても、自分の賢さにたよってはいけません。最初のアダムはそのために人生の土台を失ってしまったのです。

 愛する主人を失った主婦がこれからどう生きていこうかと思案にくれていました。そんな時、心に『あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ』(イザヤ2:22)が示されました。まわりからいろいろといわれながらも、み言を信じ、子供達をりっぱに育てあげました。彼女にとってみ言が土台となり、賢い人生を送ることができたのです。単なる偏差値やIQの賢さではなく、神の賢さを身につけていこうではありませんか。




*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1985年 4月号を掲載いたしました。