大阪城東福音教会

メッセージ

「神を待ち望め」

牧師 大倉 昭元


 詩篇42篇はダビデ王が息子アブサロムの謀反の為に都落ちして逃げねばならない時につくられたものといわれています。

 このことはダビデにとって家庭問題であると同時に政治問題でもあります。以前アブサロムが罪を犯したことから、親子の関係もうすれていく状態にありました。(サムエル記下13:29)今、ダビデは王として親として大きな苦しみの中に置かれたのです。まわりの人々は『お前の神はどこにいるのか』と叫び、ダビデの失敗から神様までが卑しめられるようになりました。

 彼がこのような中でまずしたことは『わが魂よ何ゆえうなだれるのか』と自分の魂に語りかけたことです。うなだれる原因は罪であれば勿論悔い改めて、神様との交わりを回復すべきです。しかし彼は問題に打ちのめされ、おまけに人々から責められ気落ちした状態です。そのような中で本来の自分の信仰状態からいかにかけはなれているかを見たのです。クリスチャンの生き方には喜びがあり、感謝があります。現実どのような苦しいことがあったとしても、もどるべきところへもどり、一日も早くバランスを取ることが大切です。

 ダビデが次にしたことは神を待ち望んだことです。私達は苦しい時、すぐに答えを求めがちです。電話相談をしておりましても長年苦しんできた人程その傾向があるように思えます。ダビデは悩みの中でしたことは、他の人とちがったやり方です。クリスチャンはクリスチャン的解決方法を取るべきです。人から離れ、一人神の前に座り込んだのです。普段ならあれこれと願い求めたことでしょう。しかし待ち望むとは『今私は何をすべきでしょうか?』と心静かにみ旨を求めていくことです。そのような中で気がつくとこれまでの心のいたみ、傷が少しずついやされていくのです。

 ダビデはどれ程、神のみ前にしずまり、待ち望んだことでしょうか。彼の心に段々と変化が生じてきたのです。これまで悩み苦しみばかりに目がいき、自分の存在も小さくしかみえていなかったのです。しかし今はちがいます。神を待ち望んだ人にはっきりすることは、神はどのような状態の中にもおられ、その存在が大きくなることです。ダビデは言ったのです。『わたしはわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう』

 もしあなたがこれまでの人生で最も苦しい状態におられるなら、どうぞ詩篇42篇をよんで下さい。これまで以上にみ言があなたに迫ってくることでしょう。あなたが信じている神様はダビデが信じた神様と同じ神様なのです。




*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1985年10月号を掲載いたしました。