大阪城東福音教会

メッセージ

「素直になろう」

牧師 大倉 昭元


 名古屋に住む一人の婦人からお便りと一冊の本を送っていただきました。昨秋、愛知県でなされた牧師研修会に出席した時のことです。同じ会場で別なキリスト教の団体も集いを持っていました。聖霊のことについて彼等の幾人かと話し合う時があり、そのうちの一人の婦人に自己紹介のため名刺をわたしました。手紙を読むうちその夫人からであることがわかりました。本の題は『心身のいやしを求めて』です。

 この本を通して、いかに人の心は傷つきやすいか、また立ち直るのに時間がかかるかを学ばされました。著者が教室で『祈り』について語った後のことです。生徒同士が今聞いた講義について語っています。一人が『君はあの話をどう思うかね?』相手は『新米みたいな話だね……』と。著者はそれを聞くやショックを受け、足がふらつき、体中がぞくぞくし寒気がおそってきました。著者は『彼等は冗談を言ったんだろう、それにあのような意見は彼一人にすぎない』と自分の心をなんとかして守ろうとしたのです。また、『失敗は誰でもするものさ』と心の傷さえ否定しました。しばらくするとこれまであった恐れや怒りが押さえられるようになり、ほっとした気持ちになったのです。すると今度は理由もなく不愉快な気持ちが心を支配するようになってきました。そのような状態の中で祈る時ほとんどの時間は『主よ、お聞き下さい。しもべは話します』という調子で『主よ、お話し下さい。しもべは聞きます』とは祈れなかったのです。祈りつつも、彼にはなんでも酷評するクセがあるのです。『私こそが彼によって傷をつけられているのです。どうぞ彼が私に悔い改めるようにして下さい』と願うばかりです。聖書を読み、祈りつづける中で、自分の生き方がイエス様らしくないことが示されてきたのです。彼の悔い改めが先決だという条件をやめることにより、一方的に彼をゆるすことができたのです。これまでのように『彼の悔い改めが先決だ』といわず『私の悔い改めこそが先決だ』と悟ったのです。その時から著者の心の傷がいやされ、彼をありのままに受け入れることができるようになったのです。

 これまでの対人関係でこじれた時、相手を責めたり、しかたがないとあきらめているだけではなんにもなりません。そのような状態が続けば心が段々とゆがめられていくのです。ゆがめられた心はあなたの中から明るさをうばっていきます。ゆるさない心こそ神様のみ前に悔い改めるべき罪です。自分の心の罪を悔い改め、まず神様との間をただすことが正しい答えなのです。




*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1985年11月号を掲載いたしました。