メッセージ
「人間の本質は」
牧師 大倉 昭元
人間とはどういう存在なのでしょうか。人間ということに対して、人々はさまざまなことをいってきました。
人間は笑う力を授けられた唯一の動物である。
イギリスの詩人 クレヴィル)
生まれるのはやさしいが、人となるのはむつかしい。
(フィリピンの諺)
会って、知って、愛して、そして別れてゆくのが
幾多の人間の悲しい物語である。
(イギリスの詩人 コールリッジ)
では聖書は人間をどのようなものとしてみているのでしょうか。神様がアダムを造られたことが次のようにしるされています。『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった』(創2:7)神様は土のちりで肉体をつくられました。それと同時に命の息を吹き込むことによって、霊的な存在にもつくられたのです。動物はただ環境に順応する生き方しかできません。しかし、人間は環境に順応することだけでなく、聖霊を通して、神様のみ旨に順応して生きていけるのです。
ところがアダムが罪を犯して以来、人間はいつも心に起こるさまざまな欲望の奴隷になってしまったのです。自分で自分をコントロールすることが困難になっています。酒をやめなさいと医者からいわれても、仲々やめることはできません。悪いとわかっていても悪癖をやめられないでいる人もたくさんいます。体そのものはいくら健康に気をつけても、いずれは朽ちはてていくのです。今一度、人間は肉体だけでなく魂をもっていることに目を向けて頂きたいのです。
今は幸いにも恵みの時代です。人間回復のために誰でも聖霊をうけることができます。人間の最も深い部分である魂に聖霊をうけると誰でも変えられていきます。その第一のしるしは舌にあらわされます。魂が聖霊にみたされ、次に心が、そして舌が異言をもって神をあがめるようになるのです。舌は私達にとって実に制しにくいもので、言葉の上で多くのあやまちを犯してきたものです。聖霊のみたしは肉体を支配する力があるのです。米国では麻薬患者の青年が聖霊をうけることによって、自由にされています。人をいかすエネルギーは食物だけではなく、聖霊にあることを学びます。今あなたに求められていることは聖霊を体験することです。
『天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊を下さらないことがあろうか』(ルカ11:13)
*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1985年3月号を掲載いたしました。