メッセージ
「信仰のステップ」
牧師 大倉 昭元
イエス様は、僅か三年半の公生涯に於いて、多くの真理を語り、病人をいやし、また奇跡を行いました。その中の病人のいやしを通じて、信仰を学びましょう。
いやされた彼等はイエス様を求めたからです。或る方は当然と言うかも知れませんが、求めない限り答を得る事は出来ません。ヤイロには十二才になる可愛い娘がおりました。ところが重病が悪化し、死の状況になりました。この町に、イエス様が訪れたことを知り、出かけました。信仰の第一歩はイエス様に近よることです。教会にこられる方は、殆ど自己解決不可能な悩みをかゝえている時です。自己の限界を知ることが大切です。
ヤイロはイエス様に出合うや足許にひれ伏しました。信仰の第二ステップは凡てをお委ねすることにあります。「信仰は聞くにより、聞くはキリストの言葉によるなり」とありますように、信仰を理解するために、知的な面もあります。しかし、ヤイロは頭だけをイエス様に差し出したのではなく、全身でした。イエス様があなたに求められるのは、あなたの一部分ではありません。第一の戒めは「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる汝の神を愛せよ」とあります。イエス様との繋がりも一部分ではなく、あなたの凡てが求められるのです。ヤイロは足許にひれ伏しつ、娘のいやしを求めました。その最後に「手をおいて下さい」とあります。
イエス様に祈り求める時に、いつも注意しなければいけない事は、主の祈りの中にあるように、み心が天になるごとく地にもならせ給えと言う神様の側の答なのです。神様は私達の願い凡てを私達の思う通りに聞き入れて下さるお方ではありません。
パウロが病のいやしを祈り求めた時、それは聞かれませんでした。しかし、彼は神様の答を見出したのです。「私が弱い時にこそ、私は強いからである」
み心が、あなたの求めた願いと違っていても、それを最善として受け入れようではありませんか。
最終的にはヤイロの娘は、いやされました。どの様な問題でも祈りましょう。そして、神様のみ旨がなされるように、求めていきましょう。
*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より1983年5月号を掲載いたしました。