メッセージ
「従う心とさまたげる心」
牧師 大倉 昭元
ひとりの律法学者が近づいて来て云った。「先生、あなたがおいでになる処なら、どこへでも従って参ります」イエスはその人に言われた。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕する所がない」(マタイ福音書8:19,20)イエス様の評判が高まると、弟子志願者が現われました。教会にもクリスチャンになりたいと云って求める人もたくさんいます。律法学者は社会的に地位のある人です。普通の考えでは、このような弟子が加えられたら・・・と思うかも知れません。彼に対して「人の子には枕する所がない」という答でした。
律法学者になるには教師宅で旧約聖書の解釈を学び、宗教規律を叩きこまれる、試験を経て四十才にしてなれたのです。彼は経験上から何れも可能と思っていたのです。「何処へでも従って参ります」と断言したのです。これは自己過信です。信仰生活には経験と知識が役立ちます。しかし、イエス様に従うことは、生き方がすっかり異なります。
イエス様は神様が人となられたお方です。これまでの生き方がどうであれ、イエス様に従うことが最高の姿勢です。たとえ「人の子には枕する所がない」と言われても、そこにイエス様がおられるから、魂に喜びを持ち、生き生きとした生活を送ることが出来るのです。彼はイエス様に従うことによって得られる内側の充実より、苦労に応じた地位や名誉を求めていたのです。「枕する所がない」と聞かされるや、従う理由を見い出し得なかったのです。
彼はイエス様をどのように呼んだのでしょう。「先生」と言ったのです。彼にとって自分よりすぐれた人物として受止めていたのです。ここに第二の誤りを見出すのです。イエス様の奇跡のかずかずは神であることの証明であり、復活こそ最も大きな事実です。イエス様が神様であると判るなら、自ら従うことが出来るのです。知識、経験で信仰をみるのでなく、信じて体験していこうではありませんか。そこにはおのずと従うすばらしい道が開かれて行くのです。
*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より城東福音ニュース1983年7月号を掲載いたしました。