大阪城東福音教会

メッセージ

「あなたの側に」

牧師 大倉 昭元


 聖書をよんでいて、いつもありがたいことだと感謝することがあります。それは私達の信じるイエス様はいつも側にいて下さるお方であるということです。これまであなたが学んだ教育や知識でイエス様を理解しようとしても枠にはまらないこともあります。

 イエス様を近くに感じるときは、あなたが信仰に励んでいるときではないでしょうか。祈りをすることも簡単にできます。しかし、ついつい仕事におわれていそがしくして祈りや聖書のために十分に時間をとれないと、イエス様が自分から遠くにおられるように感じてしまうようです。どれ程多くのクリスチャンがこのようなことでイエス様を近くに感じたり、また遠くに感じたりしていることでしょうか。

 イエス様が十字架にかかられた後の弟子たちの姿を通して考えてみましょう。復活を信じれない弟子たちの集まりの中にイエス様が「安かれ」といって、その姿をあらわされました。また二人の弟子は師を失ったということで郷里エマオへと帰ろうとしていました。そのような失意の中にある彼らと共にイエス様は歩みを共にされ、交わり、励まされたことでした。

 ここでわかることは弟子たちの信仰の状態にかかわらず、イエス様のほうから、常にかかわりを持たれたという事実です。人と人との関係は利害関係がくずれるとき、いとも簡単にその関係が切れてしまいます。しかし、イエス様は「見よ、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)といわれました。

 いつもイエス様がかかわってくださるということは何とすばらしいことでしょうか。いつもということばを改めて辞書をひいてみますと「常に」という意味がのっています。もともとのギリシャ語をしらべてみますと「継続して」、「同じように」、「どんな場合でも」となっています。イエス様を信じるということは私達人間の側のことですが、イエス様は信じた者の側にいて下さるのです。これまでの気分で受けとめるのではなく、イエス様のおことばを信じましょう。物事がうまくいけば「イエス様ありがとうございます」。何か問題が起こればすぐ「イエス様お助け下さい」と祈っていきましょう。もう一度イエス様を身近に受けとめようではありませんか。




※大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より1990年7月の「キャッスル」を掲載いたしました。