大阪城東福音教会

メッセージ

「フォーカスの合ったクリスマス 」

牧師 大倉 昭元


 フォーカスとは御存知のように焦点という意味があります。カメラはレンズのピントをうまく合わせることによって、良い写真を写すことができます。

 いよいよ今年もクリスマス・シーズンに入りました。世間ではいろいろなクリスマスの過ごし方があるようですが、クリスマスのフォーカスは何んでしょうか。

 ベツレヘムの馬小屋に生まれた赤子イエス。このお方には一つの使命があったのです。処女マリヤが身重になった時ヨセフはみ使いから『彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼はおのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである』(マタイ1:21)と知らされました。

 ここではっきりとイエス様の使命が人々を罪から救うと宣言されています。あなたの毎日の生活でいろんな方とのつながりがあることでしょう。時にはうまくいかなくなるときあなたの心の状態はいかがですか。自分の非よりも相手が悪くみえませんか。場合によっては相手に対するにくしみやねたみで心が一杯になることもあるでしょう。心にそのような思いがうかぶのは腹が立つからではなしに罪があるためです。新聞に殺人事件が大きくクローズアップされています。でもイエス様は人をにくむことは人を殺したことと同じだといわれました。イエス様の眼からみれば心ににくしみを持った人はすべてが殺人犯になるのです。

 罪には罰が伴います。聖書をみますと『罪の支払う報酬は死である』としるされています。イエス様がこの世に誕生されたのは私達罪人を救うためにこの世に来て下さったのです。イエス様は人が罪のために地獄に行くことをのぞんでおられません。すべての人の救い主となるため十字架にかかられたのです。そこであなたがうけるべき処罰を身代わりに受けて下さったのです。このことを心から信じることができるとき、あなたは罪ゆるされた人、クリスチャンになることができるのです。

 一人の青年がお話があるからとたずねてきました。イザ顔と顔を合わせると仲々口を開きません。やっといったことは『先生!私死ぬ程つらいのです』。時間をかけて話を聞いてわかったことは礼拝に出席していてこれまで自分のしてきた事が罪であるということがわかったというのです。その一つは万引きでした。十字架上で流して下さったイエス様の血はどんな罪でもきよくすることができますと聖書から語りました。彼はそのことを信じ悔い改めました。これまで万引きしたところへいって心からおわびをしたのです。あるデパートではこんなお話はめずらしいと親切にもてなしてくれた程です。その年のクリスマスは彼にとって全くちがったものとなりました。イエス様にフォーカスをしぼり、きよしこの夜と心から賛美して教会でクリスマスを祝うことができたのです。




*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より1986年10月の「キャッスル」を掲載いたしました。