大阪城東福音教会

メッセージ

「詩篇73篇 疑惑からの勝利 」

牧師 大倉 昭元


 クリスチャンになったときああ、これまでの一切の罪がゆるされた!よかったとうれしい気持ちで一杯です。これしかないという救いの道を感謝の心で歩んでいるのに、自分以上に喜んで、生活もリッチで明るく生活している人がいます。彼等は神様を信じていないのです。しかしその生活は他人がうらやむ程に幸せで、悩みも苦しみもなく、安らかな生活をしているではありませんか。

アサフはダビデ王に選ばれて神殿の聖歌隊の楽長の一人になった人物です。シンバルを鳴らし、声高らかに神様を賛美していました。しかしこの世の矛盾にふれた時、信仰の道からすべりおちそうになってしまいました。このようなことは単にアサフだけが持った疑問ではないようです。まじめで、人生を直視する人にとってはこれは大きな問題になっています。旧約聖書の中でも義人ヨブ、若くして預言者になったエレミヤ、預言者ハバクク、マラキ等もこの問題について『こんなことが世の中にあっていいのか?』『どうして神はこのようなことをゆるしておられるのか?』と悩んでいたのです。

アサフはこの問題に対して長い間答をみいだすことができずに苦しみました。ついに彼はその問題を持って、神の聖所(17節)にいったのです。悩む人は答のあるところにいくことが大切です。そこは今日でいうなら教会になるのです。教会に行くときよろこびと感謝を持っていくことはすばらしいことです。しかしまたアサフのように問題をかかえ、弱いままの姿ででも教会の門をくぐることもできるのです。神様はどのようなあなたをもありのままに受け入れてくださいます。そこでアサフは心に思いうかぶことを次々と神様にぶつけていきました。そこでどれ程の時がたったことでしょうか。これまた知ることのできなかった答が神様から与えられたのです。『彼等の最後はどうなのか?』これまでアサフはこの世だけですべてのものを見、また計り、さまざまな矛盾を感じていたのです。

しかしこの世だけがすべてではなく、神はいまし、永遠もあるのです。いくらこの世で人々から人生の成功者と賞賛されたとしても、神の道からはずれているなら、永遠の滅びが待っているのです。私達はこの世ですべての裁きが神によってなされることを求めてしまいがちです。しかし神様は人の一生が終わった時、正しい裁きをされるのです。このことに目が開かれた時、アサフの心に再び賛美の心がわき上ってきました。『神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。見よ、あなたに遠い者は滅びる。しかし、神に近くあることはわたしに良いことである』と。




*大阪城東福音教会記念誌『福音のしもべ』より1986年10月の「キャッスル」を掲載いたしました。