大阪城東福音教会

メッセージ

「答を得る祈り」

牧師 大倉 昭元


 ハンナは旧約聖書の中で祈りの人として良き模範を示してくれた女性の一人です。彼女は一つの大きな問題を抱えていました。それは結婚したものの子供が与えられなかったことです。当時の風習としまして、石女は見下げられた状態でした。自分なりに良いと思えることはいろいろしたことでしょう。しかし、答えを得ることができませんでした。その為に彼女の心は深い悲しみにおおわれていきました。問題の大小はちがえども、すべての人には悩みがあります。大切なことはそれをどのように解決していくかということなのです。

 ハンナは自分の力ですべきことをしたものの答えを得られず、万策つきた状態でした。夫エルカナと共に宮に上った時、神に祈り求めたのです。答を神に祈り求めることのできる人は幸いです。彼女はそこで一人になり、神と相対する場所をみつけました。祈りはじめたものの、これまでのことを考えてみると自分のみじめさが改めて思い知らされ、涙がでてき、ついにはその場に泣きくずれてしまいました。普通悩みの中にいますとどうすれば・・・と考えているものの、結果的には思い煩うばかりで時間がすぎていきます。大切なことはそれを言葉にいいあらわす時、すなわち祈りはじめますと心の中に整理がはじまってくるのです。彼女は心の中にある一つ一つを神に祈りました。祈りは神への語りかけです。時間をかけて祈り求めつづけました。

 祭司エリは声も出ず、くちびるが動くだけの彼女の姿を見て酒に酔っているのかと間違えました。しかし彼女は「積る憂いと悩みのゆえに、私は今までものをいっていたのです」と答えました。時間をかけ真剣に祈った彼女の心にこれは聞かれたという確信が与えられました。ここに生ける神の交わりのすばらしさを見るのです。彼女の顔はもう以前のように悲しげではなくなり、ついにサムエル(神に聞かれるの意味)を胸に抱くことができたのです。

問題が起るとき、それに振りまわされてはいけません。もうだめだとあきらめる必要もありません。神の力を信じて祈りましょう。祈り出すことができれば問題の解決の第一歩を歩み出したことになります。問題があなたを祈りへと導き、最終的に神の力を体験することができるのです。信仰の強さは神との体験によって生まれます。本年はさらに祈りに励みましょう。

  凡て祈りて願ふことは
  すでに得たりと信ぜよ
  然らば得べし
        マルコ11:24