大阪城東福音教会

メッセージ

「導き手」

大倉福子


 聖書学校を卒業した兄は、当初は自宅の二階の部屋を礼拝する場としました。その後、紆余曲折を経てトムソン宣教師と共に伝道するようになりました。トムソン師ご一家四人は京都市左京区下鴨前萩町の医院だった家を自宅とし、待合室が礼拝堂として用いられていました。私は子どもの集い(教会学校)の奉仕をするようになりました。子どもたちに聖書の話をすることが私の信仰を育ててくれたように思います。大人の前では苦手でも、子どもの前では話せる自分にこれが与えられている奉仕だと確信していくようになりました。

 考え事の多い私は心に疲れを覚えた時は、当時通っていた専門学校の近くに住んでおられた兄の友人のクリスチャンの家を訪問しました。深刻な相談事をした記憶はありませんが、たわいない話をし、時には夕食をご馳走になり、まさに心のオアシスのような存在で、このご夫婦のような穏やかな心をいつも持てるような者になりたいと思いました。

 さて、教会を支えると言っていた兄弟がアメリカの神学校へ留学することを知った時は本当に驚きました。

  「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の( しもべ ) とされたのである」エペソ3:7

 このみ言葉の迫りを受け、従う道を選んだ姿にある面の信仰に厳しさをも教えられました。彼とは留学一年後ぐらいから文通を始めました。メールの今とは違い郵便物が届くのに一週間、その返事を手にするのが早くて一週間後、何とものんびりした時代でした。ある年はこの一年は一緒に聖書通読をしようと月ごとに一覧表を送ってきて、互いに感想を書き送り励まし教え合い、祈りの課題を出し合ったものです。

 お互いの結婚の意志は固まりましたが、帰国後どのような働きをするのかは全く分かりませんでした。数年後結婚し、伝道場所に関していろいろな話がありましたが、母教会の京都福音教会の副牧師となり、教団の聖書学校で教鞭を執ることになりました。十年あまりの京都での働きを通して、多くの方々との出会いで教えられ、良きもの事を沢山学び得たことは正に私にとっての聖書学校だったのかも知れません。

  「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」  箴言16:9