メッセージ
「出会いを通して」
大倉福子
私を出産した時、母は産婆さんから言われたそうです。「この子は三日ももちません」と。何という厳しい言葉でしょう!母はその前に長女を脳膜炎で亡くしていました。祈り心と不安一杯で数日間を過ごしたことでしょう!私は弱いながら恵みによって今日まで生かされてきました。虚弱体質ですくすくとはいかず医者通いが絶えなかったようです。
無気力で内向的な陰気な子どもだったと思います。そのような私でしたが、同じ幼稚園に通っていたしっかり者の近所の友人が「一緒に行かない?」とある日誘ってくれました。そこはアメリカ人の宣教師が自宅を開放し、日曜日の朝に行っていた子供の集いでした。和室の襖を外し一人でも多くの子どもたちが座れるようにしてありました。来日して日が浅かったのでしょうか、集会そのものは若い女性二人が一所懸命讃美歌を教え、また、聖書の話をしてくれました。その時に「主われを愛す」を覚えました。ところが肝心の聖書の話はあまり記憶にありません。いつしか行かなくなってしまいましたが、集会後に貰えた聖書物語の描かれた美しいカードの中で「お金持ちの青年がイエス様の前でひざまずいている絵」の一枚は今もはっきり覚えています。
数年を経て、一人の牧師と神学生が我が家を訪ねてこられました。自転車で一軒一軒伝道して、隣の家を最後にしようと思っていたそうです。でも、あと一軒だけと思われたのが我が家だったのです。留守番をしていた祖母が対応したのですが、階下から聞こえる声に当時病気療養中だった兄が降りてきて結局二人で聞くことになりました。
そのうち祖母が近くのクリスチャン家庭で行われている集いに行きたいと言い出し、年寄一人では、、、、と初めは私が同行することになりました。文学青年だった兄にとって、聖書は興味深かったのでしょう。牧師にとっては良く話を聞いてくれる青年に出会えたと、熱心に訪ねて来られるようになりました。徐々に体力がついてきた兄は教会に行ってみたいという思いが起こされました。初めて行った夜の付き添いはまた私です。歩いて20分足らずの距離ですが、普段遠出をしていない兄にとっては大変で、途中で立ち往生してしまいました。「どうする?帰る?」黙って兄、行くも半分、帰るも半分、、、、「行く」とゆっくり歩きはじめました。ようやく教会に着きドアを開けた時の明るく温かい雰囲気、牧師を始め兄弟姉妹も驚きながらも心から喜んでくださいました。その後、兄は献身し聖書学校に入学して牧師になりました。
また、家庭集会をしていたご一家もご主人が仕事を辞め開拓伝道への道を歩みだされました。私は神様が何よりの保証とは言え、七人家族でこのようなことができる信仰の強さや信頼の強さが心に残ったできごとでした。随分ご苦労が大きかったと聞きましたが、立派に主の御用をされた先生に尊敬の念をいだきました。
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」 箴言19:21