大阪城東福音教会

メッセージ

「権勢によらず、能力によらず、私の霊による」
                ゼカリヤ 4:6

フェイスチャーチ牧師 中村 浩幸


 KBI(関西聖書学院)で学んでいた頃、同学年に次のような姉妹がいました。3年生のS姉妹は5年前に救われたばかりです。休みの時は仕事をしながら学ぶというバイタリティのある方でした。姉御肌で、他の多くの姉妹からも慕われていました。
 自分の団地の家でCS(教会学校)をしていて、団地内の子供が沢山集まっていると言うことでした。両親はクリスチャンではなかったのですが、子供が多すぎるので、壁を壊して部屋を広くしたそうです。
 ある日いつもの集会で、S姉妹のメッセージが終わった後、そこにいた大勢の子どもたちが皆悔い改めて泣き出したそうです。にわかには信じられない話でしたので、この姉妹には子どもたちや多くの人たちを惹きつける何かがあると言うことだろうか、など話を聞きながら私は考えました。(S姉妹は今はインドへの宣教師として神の働きをしておられます。)

 それから数年後、以前私が属していた教会で、夏のCSキャンプがありました。同教団の他教会のCSの子どもたちも合わさって20人ぐらいいました。そこで、私は一つの集会メッセージの担当になりました。キャンプ独特の雰囲気の中、子供たちの賛美も終わりメッセージの時間が来ました。私は特別集会などでよく聞くメッセージを覚えていましたので、自分なりにアレンジして語りました。メッセージが終わってふと見ると、子どもたちが一人残らず泣いているではありませんか。全く予想外の出来事であり、何が起きたのか、自分でもわからなくなってしまいました。
 子どもたちはいつまでも泣き止むこともなく、グループに分かれて先生方がそれぞれ福音を語るなどして、話を続け、また、祈り続けました。
「私はこのような体験は初めてで、どうしたらいいのか、もう全くわかりませんでした」と戸惑った様子で言われました。私自身も同じで、「聖霊が働いたのでしょう」としか、言いようがありませんでした。私はKBI時代のS姉妹の語っていたあのCSの話を思い巡らしました。

 この時私が自分なりに理解したことは、聖霊の働きは、能力や肩書き、努力によるのではない、と言うことです。信仰のレベルだとか、知識の量によるのでもなく、ただ求めるものに風のようにやってきて、心の中を通り過ぎていく。だから、自慢したり、誇ったり、うらやんだりすることではない。預言やいやしなど聖霊の賜物もまた同じで、信じ求める人のところに訪れては、自然になされる。神のみわざとはまさにそう言うものだ、と。
 聖霊はいつも教会の中で、多くの人を通して豊かに働かれることを望んでおられます。
「エルサレムから離れないで、かねて私から聞いていた父の約束を待っているがよい。」 (使徒1:4)
イエスさまは今も私たちにそう言っておられるのです。