メッセージ
「まことの信仰 者の歩み」
遊津 敏
「モーセ死んだ時、 百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」(申命記34:7)
これは、生涯現役を 全うされた大倉先生を表現するのにふさわしい御言葉だと言えるでしょう。今年に入ってから は多くの時間を病床で過ごされたことですが、見舞いに訪れた信徒に対して逆に励ましを与
え、また病院のスタッフに対してもその信仰姿勢を通して証しされてきました。「自分の牧会 は間違っていなかったと思う」と明言できるとは何と幸いなことでしょう。私たちも「自分の
信仰生活は間違っていなかった」と断言できるようになりたいものです。
偉大な指導者モーセ を失ったイスラエルの民は、彼のために泣きました。(申命記34:8)大阪城東福音教会に も大倉先生が天に召されたことにより、大きな穴がポッカリとあき、私たちは深い悲しみに包
まれています。『これから先はどうなるのだろうか』と案じる方も多いのではないかと思いま す。
しかし、モーセを 失った民は、再び前に進み出しました。「モーセのために泣き悲しむ日はついに終わった」 (申34:8)からです。彼らはモーセの後継者ヨシュアに従って歩み出したのです。主なる
神様は、必ず私たちにも悲しみに終わりを告げる時を備えて下さっていると信じます。そのた めに、まず私たち一人ひとりが大倉先生の信仰をしっかりと継ぐ者となりましょう。
『明日は5時半に起 きて早天神祷は行くからね』これは大倉先生が残された最後の言葉です。先生は、きっと今、 天の祝祷会において、私たちのためにも熱心な祈りを捧げて下さっていることでしょう。
『信仰に卒業はな い。いや、この世を去った後も永遠に続くものです。』と教えて下さった言葉を、大倉先生は 今、まさに自ら実践されていることでしょう。