大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて


ハガル


 彼女はエジプト人でアブラハムの妻サラのつかえめです。カナンの地が飢饉の時、アブラハムがエジプ トに避難した時に、妻サラの手助けをさせるために彼女を奴隷として家に入れました。

 アブラハムとサラの間に子供が与えられないので、サラは当時の習慣に従ってハガルを通して子供を 持とうとしました。アブラハムは主の声ではなく、理性とサラの言葉に従い、人間的方法で子供を持つ決 心をしました。妊娠したハガルはそのことで女主人を見下すようになりサラとの関係がこじれ、とうとう家 におれなくなりました。彼女はエジプトへ逃げるため数日荒野を歩く中で主の使いに出会い、もう一度ア ブラハムの所にようにと諭されました。彼女は男の子を生みイシマエルと名付けました。

 それから14年後にアブラハムとサラの間に神が約束されたとおりに子供が与えられました。その子イ サクの乳離れした日にアブラハムは盛大なお祝いをしている時に、サラはイシマエルが幼い我が子イサ クをからかっているのを見たのです。早速アブラハムにハガルとイシマエルを家から出すように求めまし た。翌朝アブラハムはハガルとイシマエルにパンと水を入れた皮袋を渡して家から去らせました。荒野を さまよい歩き水が無くなった時、イシマエルは大声をあげて「喉が渇いた、水を飲みたい」と泣きだしまし た。神はその求めに応じてハガルの目を開き、近くに井戸のあることを示し、彼らの命を救われました。

 ハガルは女主人サラとの関係がうまくいかず、二度エジプトに逃げて帰ろうとしました。現実の生活で 問題が起こったとき、神を求めたとは書かれていません。彼女の本心は彼女の名前の意味「逃げる」 で、その名の通りエジプトというこの世に戻ろうとしています。パウロは彼女の生き方は「肉」すなわち自 己中心の生き方であると解釈しています。二度神の声を聴く中で、主を助け主と信じるべきでした。でも 問題が過ぎるとハガルはまた肉の思いのままに生きてしまいました。問題から逃げる人生ではなく、たと え大きな問題があっても、神を信じ、祈る生き方こそ積極的な生き方で、必ず道が開かれるのです。 参照:創世記 16:1~16   創世記 21:1~21   ガラテヤ 4:21~31