聖書の人物を訪ねて
伝道者 ピリポ
彼はエルサレム教会の初期の時代に救われ、家族そろって教会に行く忠実な信徒でした。教会員が 増え、やもめたちの食事の配給をより組織立てる必要に迫られた時、七人のひとりに選ばれました。選
出の条件は事務能力も必要でしたが、それ以上に信仰と聖霊に満たされていることが求められました。 この働きには愛の配慮が求められたのですが、彼らは細心の注意を払いながらやもめたちの必要に答
えていきました。
同僚の一人ステパノが神に用いられエルサレム市内で福音を語り、しるしと奇跡を行うようになり、そ のことを妬んだ人たちが彼を殺しました。そのことがきっかけでエルサレムの教会に迫害が起こり、信仰
者は町を出なければならなくなりました。ピリポはサマリヤに行き、そこでキリストを伝えると人々は福音 に耳を傾け、多くの人たちがイエスの名によって洗礼を受けました。この後エルサレムの教会からペテロ
とヨハネが来て手を置いて祈ると、人々は聖霊の恵みにあずかりました。
そのように祝されたところから、神はポリポに荒れ地のガザに行くように命じたのです。多分ピリポは 「どうしてそんな辺鄙なところに行かないといけないのか?」と考えたことでしょうが、御声に従ってガザに
行くと、エチオピアの宦官からイザヤ書の解き明かしを求められ、この預言者が示しているのは救主イエ スであることを伝えたところ、宦官の方から罪を認め洗礼を求めてきました。一人の魂の救いのために
用いられたことに対して主の愛の深さを教えらえれたことでした。
この後ピリポは地中海に面した大きな港町で、パレスチナに通じる交通の要所であるカイザリヤに移り 住みました。そこは皇帝礼拝がなされ、快楽を求める生き方をする世俗的な町ですが、ピリポはイエス・
キリストを伝え、四人の娘らは聖別した生活をし、礼拝の中で預言をしていました。彼の家は相当大きか ったので、伝道旅行をしている人たちにとってオアシスのような存在となっていました。パウロ一行がエル
サレムに行く途中、ピリポの家の教会でしばらく世話になり、お互いに恵みを分かち合い、良き交わりの 時が持たれました。日曜ごとに家庭が解放され、きっと多くの方々が礼拝に出席して恵みにあずかって
いたことでしょう。
参照 使徒行伝 6:5 使徒行伝 8:1~40 使徒行伝 21:7~14