聖書の人物を訪ねて
ユダヤ人の指導者 ニコデモ
ニコデモはイエスと同時代の人物です。聖書ではまず彼をパリサイ人として紹介しています。彼はモー セの律法を厳格に守るユダヤ教の宗派の一つパリサイ派に属していました。律法を守ることでパリサイ
人は自分を信仰熱心な者だと自認し、善行が救いの条件のように受けとめていたのです。彼はそのよう な人たちの中でも目立つほど律法を厳格に守っていたと思われます
二番目は彼がユダヤ人の指導者であると書かれています。彼は人格的に優れ、言動からして真面目 だったので人々の間で尊敬されるようになり指導者になっていきました。しかし彼の心には一度イエスに
会ってみたいという気持ちが起こされたのです。イエスが権威を持って語る内容はこれまで彼が身につ けた知識では理解できなかったのです。彼はイエス様にいつ会いに行ったでしょうか。夜と書かれていま
す。この言葉は時間を表し、また彼の心をも表しています。国民のだれもがニコデモを知っているので、 昼間に会いに行けば、噂が立つことが分かっていたので、わざわざ夜に面会を申し出たのです。イエス
様に会った時「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」と言われ、彼は「もう一度母 の胎に入って生まれることですか?」と思いつくままの返事をしてしまい、自分がいかに霊性に関して未
熟かを知らされたのです。
三番目はイエス様が十字架で処刑され、死んだ後、彼はそのお体を埋葬する準備のために墓地に来 ました。イエスが新しく生まれると言われた言葉の意味を知ろうとずっと考えていました。出エジブトした
民が荒野で不平を言ったことで蛇にかまれて苦しみ死んでいく時に、木に掛けられた青銅の蛇を見上げ た人が救われたように、自分も木に掛けられるとイエスが言われたことの意味が理解できたのです。イエ
スの死はすべての人の身代りであり、救われるためには何の善行も努力も必要ではないことが分かりま した。イエスが私の救いのために命を投げ出して下さったという大きな愛に感謝の気持ちを表すために
乳香、没薬をもって墓地にやってきたのです。ニコデモはみ言葉を悟ることに時間がかかったものの、イ エスを救い主と信じることで心が変えられる体験を通して新しい生き方を歩み出すことができました。
参照 ヨハネ 3: 1~15 ヨハネ19:39~41