聖書の人物を訪ねて
サウルと一緒にロバを探しに行った僕
預言者サムエルが活躍した時代(BC11世紀末ごろ)、ベニヤミン族に属するキシは裕福な生活を送っ ていました。数頭のロバがいなくなったので、息子サウルに、一人の僕をつけて探しに行かせました。二
人は探しまわるのですが、見つけることができません。日も過ぎたことで、サウルは、父はロバのことより も、きっと私たちの身を案じているに違いないから、家に戻ろうと僕に言ったのです。サウルはこれほど
探しても見つからないと、やるだけのことはやったという事で諦めています。
ところが一緒に行動している僕の返事は違っていました。「この町には神の人がおられるので、この旅 のことで、何か示されるでしょう。」と言ったのです。このことは僕がどのような人物であるかをよく表して
います。彼はサムエルを預言者と認め、神の人として知っていました。物事に行き詰った状態の中であっ ても、僕はサムエル先生に尋ねてみたらとサウルに勧めています。僕は信仰を持っていました。自分た
ちとしてなすべきことはやったものの、僕は諦めていません。さらに答えを神に求めようとしています。問 題の中で神に願い求める生き方は、あなたの生き方を積極的にさせていく力があります。
サウルはその話に賛成し、神の人に会う決心をしました。でもお礼の品物が、、、、と言うと、僕が「私 はわずかですが、捧げるべき献金を持っています。これを使ってください。」と言われ、サウルは預言者
サムエルのところに出かけたのです。ロバを探しに行ったことで、サムエルに出会うきっかけが与えら れ、サウルはイスラエル最初の王となる道が開かれて行きました。
サウルは僕の確信のある言葉に心が動かされ、サムエルに会う決心ができたのです。僕は預言者サ ムエルのことを知り、サムエルなら今の問題に対して答えを与えてくれるという確信を持っていました。立
場が問題を解決するのではなく、その人が持っている信仰です。キシ家は経済的に豊かであったもの の、預言者サムエルのことに関心がなかったということは、世俗的な家庭のように思えます。しかし、信
仰ある僕が一人いたことは、その家にとって大きな祝福になったのです。あなたも家庭や職場で、一人だ けの信仰者かもわかりませんが、あなたにも必ず良き出番があることでしょう。日ごろから信仰体験を重
ねて、確信を持って生活しましょう。
参照 サムエル記上 9章