聖書の人物を訪ねて
ピリピの教会のユオデヤとスントケ
パウロの働きは拡大し、エーゲ海を越え、ヨーロッパの町ピリピにまで福音が伝えられました。紫布商 人のルデヤ一家がまず救われ、看守人一家に多くの人が加えられ、教会が形成されて行きました。
そのような中で中心的な働きをしている二人の姉妹ユオデヤとスントケの間に不和が生じていたので す。パウロは彼女らに一つ思いになってほしいと伝えました。その理由が書かれていないということは、
その問題が個人的なことだからでしょう。不和の理由が何であれ、話がこじれると、お互いが勝ち負けに こだわり、個人攻撃になりやすくなってしまいます。パウロが言う「一つ」と言うことは「キリストにあって一
つ」と言う事です。イエス様は十字架でゆるしを祈られました。イエス様の愛は常に一方的です。パウロ はキリストにあって一つになることを切に求めています。でも二人は自分の立場や言葉にとらわれている
姿を私たちに見せています。
この問題は二人だけのことではなく、教会にとって大きな問題となっていました。パウロはこの時、ロー マの獄中にいるために、名前を伏せ、真実な協力者に二人が早く和解できるようにお願いしています。こ
のところでパウロは二人の姉妹に対して「いのちの書」に名が書きとめられていると記しています。このこ とを書くことで、二人がどのようにして主イエスの救いにあずかったかと言う信仰の原点に再び目を向け
るように勧めています。信仰生活が長くなると救われていることを当然のように思ってしまう時があるから です。
二人はこれまでの教会の多くの同労者と共に協力して働いてきました。パウロは「福音のために私と共 に戦ってくれた女たち」と記しています。伝道するという同じ心、同じ思いがあったからこそ福音を伝える
事が出きたのです。パウロは二人に共に福音のために戦った時の恵を思い起こし、もう一度心を合わせ て共に戦う事が必要ではないでしょうかと勧めています。
教会は何の問題も起こらないところではありません。さまざまな問題を抱えています。しかし問題が祈り につながるなら、道は開かれ、答えは与えられます。またそのことでお互いが取り扱われ、成長できるよ
うになっていくのです。
参照 ピリピ4:2,3