聖書の人物を訪ねて
番兵 イリヤ
ゼデキヤ王がユダ王国を治めていた時(在位BC597~586)、当時世界を支配しつつあったバビロンに よって国はまさに滅ぼされようとしていました。隣国エジプトに助けを求めるのですが、何の助けも得るこ
とができません。預言者エレミヤの敵の滅びではなく、エルサレムがバビロンによって滅ぼされ、生命を 得るためにバビロンに行くようにと言う預言に人々は反発し、受け入れようとしませんでした。自分たちは
選民であり、モーセを通して神の律法が与えられ、先祖に信仰の父アブラハムがいることから神は必ず 敵から守ってくださると考えていたのです。しかしエルサレムが滅ぼされるのは、偶像に心を向けた長年
の罪であり、預言者たちが何度も警告をしていたにもかかわらず悔い改めなかったからです。人々はエ レミヤの国は滅ぼされるという預言の言葉に、誇り高いユダヤ民族のプライドが傷つけられ、反発してい たのです。
その預言者エレミヤがなんと門を守っていた番兵イリヤの目の前に姿を現したのです。エレミヤがエル サレムの北東にあるベニヤミンの門から郷里アナトテに行こうしていました。イリヤは彼を見た時、きっと
驚いたことでしょう。そのような時こそ本音の部分が出るものです。彼にとってエレミヤはエルサレムの住 民の心に不安を与えている張本人で、売国奴だと思い、彼を捕らえたのです。多分そうする事で手柄に
なると考えたからでしょう。もし彼の心に少しでも信心があれば、エレミヤに対してあなたはどうしていつも 厳しい預言をするのですかとこの機会を捉えて尋ねることもできたでしょう。エレミヤは敵のところに行く
のではなく、郷里に用事で行くところだと話すのですが、彼はまったくその言葉を聞こうとしません。イリヤ が預言者エレミヤの言葉を信じないことで、預言者を敬う心も、信仰心もないことが明らかになりました。
彼はユダ王国が滅びようとする難しい時代に生きていましたが、そのような中で預言するエレミヤの言葉 に関心を示さなかったのです。イリヤが住んでいた時代はユダ王国末期の時代です、今日も世界が激動
の時期を迎え、聖書は、今の時代は終末であることを明らかにしています。地震、民族紛争、食料危機 等が各地で起こる中で、それらのことで心を振り回されるのではなく、聖書を通してこの時代を良く知り、
一人ひとりが主イエス様の再望に備えていく者となろうではありませんか。
参照: エレミヤ書37章1~15節