大阪城東福音教会

聖書の人物を訪ねて

セブナとエリヤキム


 人が権威を失墜する理 由の一つは高慢です。物事がうまくいくと自分は出来ると思い込み、自分の地位で周りの人を自由に動かせると思い込むと手がつけられなくなります。高慢はその人の弱さではなく、神無しでも生きていけるという罪の表れです。
セブナ
 ユダ王国がアッスリヤに侵略されそうなきびしい時期に起こったことです。王の側近に執事セブナがいました。彼はユダヤ人ではありませんが、宮廷内でかなりの権威を持っていました。主なる神は預言者イザヤを遣わし、彼に対して、高い所に墓を造ったことをとても厳しく責めました。当時ユダヤ人の貴族だけが葬られる墓地に外国人が墓を持つことは許されていませんでした。これはセブナが権力を誇り、後世に自分の名を残したいと思ったからです。権力乱用で自分の願望を達成するという高慢さを神は厳く裁かれます。
エリアキ ム
 その後にセブナの地位に就くのがエリアキムです。これまでセブナが持っていたすべての権威が与えられ、それにふさわしい服装で身を固めました。ダビデの家の鍵を持つことは宮廷内の権力、国家の権力を持つことで す。当時の鍵は長くて重いので肩に置かれました。鍵を持つことでその権威を表わしています。このような彼もセブナと同じ高慢さを持ち、すべてのものを失うことが預言されています。セブナを見ながらも同じ罪や失敗を犯してしまう愚かさがあります。
(参照 イザヤ 22:15~25)
 私たちの周りでもこれまでより高い地位に就くことですっかり態度が変わってしまう人がいます。人を見下す心は自分がさも偉くなってしまたと思い込む高慢さです。人を愛する心が欠如しているのです。イエス様は律法学者から「どの戒めが大切ですか?」と問われた時、旧約聖書の申命記6:5「あなたは心をつくし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛さねばならない」、レビ記19:18「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さねばならない」から神を愛し、人を愛することと答えられました。愛に生きないと心は的をはずし罪を犯すのです。