私の信仰
「主の恵みあふれて」②
―救われてからのこと―
主はたくさんの恵みを与えてくださいました。「喫煙習慣からの解放」もその中のひとつです。私は24年間1日13本のタバコを吸っていました。きっかけは末の娘がまだオムツもはずれていない頃に遡ります。主人が私に相談もなく、勤めていた会社を辞め、自営をすることになったのです。幼い子どもたちを抱えて、主人の始めた店を手伝うという生活に疲れてしまい、次第にストレスが溜まっていきました。そして、そのはけ口は子どもたちに向けられるようになりました。そんな中でもタバコを吸うと気持ちが落ち着き、少しは理性的になることができたのです。
クリスチャンになってから、タバコを止めようと決心するのですが、長年の習慣を自分の意志で断つことは難しいことでした。「イエス様、6月30日で止めさせてください」そう祈り続けていましたら、なんと不思議なことに7月1日からぴたりと吸いたいという欲求がなくなったのです。御霊が働いて下さったのだと思いました。
そのときのことです。突然、一つの御言葉が私の胸に迫ってきました。
「あなたは神に誓いをなす時、それを果たすことを延ばしてはならない」(伝道の書5:4)
私には心に決めたことがありました。発展途上国の恵まれない子供を救う「チャイルドスポンサ―」になることです。信仰雑誌に載っていた記事を見て、1ヶ月のタバコ代を捧げようと思ったのです。御言葉に従い、私は急いで郵便局に行き、手続きを済ませ、その誓いを果たしたのでした。
6歳の女児のスポンサーになって10年たった頃、16歳になったその子の写真が送られてきました。結婚をし、胸に赤ん坊を抱いて笑っている顔を感慨深くながめたものです。
昨年9月に主人が召されましたので、今はひとり暮らしの身となりました。それでも日々何をするにも口からは賛美があふれ、気が付けば歌っているのです。長年タバコの煙を吸いこんでいたのですから、以前の私の声はしゃがれていました。けれども喫煙から解放されてからはすっかり変えられ、澄んだ声が出るようになりました。
主は賛美の好きな私の口に新しい歌も与えてくださいました。夜、なかなか眠れずにいますと、決まって朝方4時頃、歌詞とメロディーが与えられるのです。私は急いでカセットテープに吹き込み、それを遊津兄弟が譜面に起こしてくれました。そして礼拝の中でも、皆で賛美しています。
主人は2年8ヶ月ほど入院をしておりました。お正月に餅を喉に詰まらせ、救急搬送されてからのことです。当初、もしもの時はお寺で葬儀をあげるよう主人の弟からきつく指示されていましたが、私はどうしても教会で行いたいと願っていました。そのことも不思議なかたちで叶えられました。入院が長くに及んだのも、ベッドに寝たきりだった主人にとっては、辛い日々だったと思いますが、福音を聴く時間を主が備えてくださったのだと今は感謝しています。またコロナ禍にあって、家族でも面会できない状況でしたが「他の人には断ってるけど、中尾さんは特別やで」と医師の計らいで主人に会うことができました。痩せ細った体に触れ、腕をさすり、声をかけ、目を合わせることができました。私の歩いてきた道のすべてに主の恵みはあふれ、心から感謝しています。