私の信仰
「神が内住なさるところ」
2019年1月15日、母は天国へと旅立ち
その2年後の今年2021年1月22日、父も天国へと旅立ちました。今までは実家に帰省すれば父と母がいる。電話をすれば話すことができる。それは日常の一部として当然あるものと、無意識のうちに思っていたことに気づかされました。今年の夏、父と母のいない実家に帰省した時、何気なく過ごしているこの日々は当然あるべきものではなく限りあるもの、移り変わりゆくものであることを実感しました。
父、母、それぞれ育った家庭環境は複雑なもので、共に幼い頃から心に痛みをかかえていました。父は一歳の時母を亡くしその後、後妻さんが来られた様ですが、実子ではない父たちと、その後産まれた子供たちとの対応は全く違ったらしく、寂しい思いをしていた様です。そのことは晩年になっても時々話していました。幼い頃に受けた痛みはこの地上の生涯消えることはないのだなと思わされました。母においても幼い頃、三人兄妹の中の母だけが生活の貧しさゆえ養女に出され、実の母、兄妹とは違う家庭で暮らすことになりました。その後その家庭に困難な問題が起こり、さらに貧しい生活の中におかれました。
痛みと共に与えられた環境の中で子供時代を過ごし、そして大人になり、それぞれ伴侶に出会い自分の家庭を持つ様になりました。父は仕事を楽しみながら熱心に励む性格。また情に厚いところもあり、仕事場でも頼りにされていた様です。自分の家庭を持ち、さらに人生を謳歌していたことでしょう。
しかし40代後半、伴侶を病によって失い、悲しみ、痛み、失望の中におかれました。母は二十歳過ぎで結婚し、生活も守られ、二人の子供も授かり幸せな家庭を築いていました。しかし30代でリウマチを発症し、眠れないほどの痛みが日常となり、生活に支障をきたす状態で障害者2級の認定を受けました。それでも何とか家庭を守っていましたが、母が40代の頃、伴侶(私の実の父)は大病を繰り返し最後は肺がんによって亡くなりました。
お互い自分の家庭においても、悲しみ、痛みの中におかれました。母は、自分の身体を支えることさえ難しい中、二人の子供たちのこと、自分の今後のことを考えると、まるで人生から拒絶されているかのような出口の見えない暗やみの中におかれました。その頃の母は、精神的にもかなり心配な状態でした。私が学校へ行っている間にどうにかなっていたらどうしようと…家に帰って母が生きているだけで『良かった』とほっとしては、また心配に襲われる日の繰り返しをしていた私でした。
あの時母は、魂が渇き、心身が弱り果て、逃げ場のないような困難な場所で、『光はやみの中に輝いている』(ヨハネ1:5)この、目には見えない光をただ茫然と見つめ続けていたのかもしれません。『やみはこれに打ち勝たなかった』(ヨハネ1:5)そして気づかないうちにその光に包まれていたのではないかと。
【キリストが内住なさる所、それは悲哀と暗やみに閉ざされた人々の心の中です。悲哀の雲はこの世を包んでしまい、途方に暮れた人を厚い暗やみでおおってしまいます。しかし、その暗やみの中にキリストはご自身を現わし、主のみ顔に輝くキリストの栄光の姿を明らかにされます。この世のすべての灯が消された時、キリストのみ顔は明らかにされます。】(J・R・ミラー)【荒野の泉Ⅱより引用】
母の悲哀の中で、母は神と出会っていたのでしょうか。そしてその瞬間から『それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ29:11)『あなたがたのために立てている計画』が、動きはじめたのではないかと。その計画の働きは、母だけではなく、悲しみと孤独の中に取り残されていた父の中にも、毎日不安と悲しみの中にいた私たち家族の中にも、想像もつかないところで動きはじめていたことを思わされます。
ひとりひとりそれぞれが、悲哀の涙と共に『あなたの歩むべき道にあなたを導く』『わたしは、あなたの神、主である。』(イザヤ48:17)神様の愛の中を歩かせていただいていたことに驚くばかりです。