私の信仰
「7番目の染色体」
私には二歳になったばかりの孫がいます。振り返れば誕生から今に至るまで神様の守りと恵みをおぼえない日はなく、感謝のほかありません。教会の兄弟姉妹が健やかな成長をお祈り下さったこともありがたく、また高度医療を目の当たりにし、小さな命をつなごうとするNICU(新生児集中治療室)のスタッフの方々の働きには頭が下がる思いでした。
“発育不全の胎児、そのかぼそい生命はこのまま消えてしまうのだろうか”娘の緊急入院の知らせをうけ、震える手でハンドルを握り、周産期医療の専門病棟に向かった日、ひたすら主にすがり祈ったことを思い出します。片手に余るほどの小さなベビーでしたが、無事に生まれてきてくれたことに安堵し、家族は喜びに満たされていました。そんなときです、顔貌と特徴的な疾患から7番目の染色体異常を告げられたのです。束の間の喜びは不安へと変わり、初めて耳にするウィリアムズ症候群については全く未知の世界のことでした。
DNAの見事な二重螺旋、その秩序だった形状には生命科学を納得させるものがあります。それに引きかえ、土を手で捏ね棒状に丸め、無造作にちぎって並べたような染色体―しかしながら、これこそ創造主のみ手のわざを思い起こさせ、畏れを抱かせます。
「主なる神は土のちりで人を造り、
命の息をその鼻に吹きいれられた」
創世記2:7
この御言葉が身に沁みて迫ってきました。この紐のようなものの中に生きものの設計図ともいえる遺伝子情報が精緻に書き込まれている!数十年も前、中学理科の教科書に載っていた図と聖書に記されていることとが妙に合致したのです。“普通”であることを問えば障がいをもって生まれることに何故、どうしてと訊ねたくなるものです。けれども神様の目からは不完全なものであるはずがありません。むしろ存在の尊さに目を開かれ、測りしれない創造主の偉大さへと思いは向けられます。神様はよく陶器師という表現であらわされます。私たちは皆神の作品、土の器、これは他者との比較ではなく神様との関係性の中に自らの存在意義を見出すことではないだろかと思っています。一人ひとりに計画をもって臨み、導いて下さる、このお方を主と仰ぎ、このお方に知られているということの幸いをあらためて感謝したいと思います。