私の信仰
「み言葉を心にとどめ、実を結んでいこう!」
私は、最近、高齢になった両親に会うために、なるべく時間をつくって実家へ帰省するようにしていま す。そして、それは、母教会の礼拝に出る機会へとなっています。今回は、先日帰省した折、恩庄牧師
先生のメッセージから教えられたことをわかちあいたいと思います。メッセージの内容は以下の通りで す。
「わ たしにつながっていなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、
自分だけでは実を結ぶことができないよう に、
あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
わたしは ぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、
またわ たしがその人とつながっておれば、
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから 離れては、
あなたがたは何一つできないからである。」
ヨハネによる福音書 15:4,5
実には、魂の内側につながれていく実と外側につながれていく実がある。魂の中の実とは、キリスト に似る者となっていくこと、魂の外側の実とは、キリストのわざと同じように成していくことである。
私につながっていくとは、いつもイエス様とつながっていること。日曜日だけとかではない。心の中 に、いつもイエス様が一緒にいる。いつもイエス様を意識していくことである。
み言葉が命である。み言葉に霊的命がある。先々のことを心配しなくてもいい。イエス様が5年先も 10年先もきちんとして下さる。救いの喜びは、ずっと一緒ではない。その時その時で新しくされてい
く。そして味わい深くなっていく。聖書には、年老いても実を豊かに結ぶようになっていくとある。外 なる人は衰えていくが、内なる人は日々新たにされていくのである、と。
「あ なたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたにとどまっているならば、
な んでも望むものを求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。」
ヨハネによる 福音書15:7
求める時、御名を用いるか、わたしの言葉を用いるかで願いなさい、と言われている。み言葉が与え られたら、そのみ言葉を握る。そして、み言葉を心にとどめる、そして、従う心を持つことが大切であ
る。従うことが祝福される道である。
神様の前には、いつでも従っていくときに青々とした実を結んでいくことができる。み言葉がその通り になると信じて告白していくこと、み言葉を心にとどめて握っていく時にそのようになるのである。そ
して、願っているものを獲得していくことによって、喜び、楽しみで満たされていく。また、そのこと を証していく時に、それを聞いた人が新たに挑戦していく者となっていくのである。実を結んでいく人
になりましょう、と語られました。
私は、このメッセージを通して、み言葉を握って祈る大切さを改めて教えられました。そして、み言 葉を告白し、願っているものを得た喜びは証していくことが大切だと教えられました。
皆さんに与えられているみ言葉は何ですか?願っていたものを得た喜びは、どうぞ周りの方々にわかち あっていきましょう。その証が、また新しい実を結ぶことにつながっていくのです。ハレルヤ!