私の信仰
「母 の墓参りを通しての恵み」
先日、亡くなっ た母の墓参りにいきました。去年12月に亡くなって初めての墓参りでした。掃除をしてお花を供えお祈りして帰りました。
キリスト教にとってお墓というものの考え方はどのようなものでしょうか。
解説によると
「キリスト教では、死とは新たな人生の始まりであり、死後は地上にとどまることなく「天国に召される」「神の元へ凱旋する」と考えられてお
り、お墓は故人様を偲ぶ場所である、という考え方をするのです。つまり、キリスト教においてお墓とは、故人様が確かにこの世界に生きていたと
いう証を墓石で残し、故人様に思いを馳せるための「記念碑」という意味合いになります。」
お墓は故人を偲ぶ場所、「記念碑」と言われているように墓石に御言葉を刻むことにしました。
普通は、墓石には亡くなった日と名前とその上に本来仏教なら戒名を刻みますが、悩んだ末次の内容を刻むことにしました。
「愛と恵みと真実 一九二三年一月
十五日 ~ 二〇一九年十二月八日
〇〇〇〇〇(母の名)」
母を偲んでお墓参りするとき、主イエス・キリストの愛の中で生かされ、恵みを受けていることを感謝しお参りするようにと思って墓石に刻みま
した。また、主によって真実をみることができますようにと祈りを言葉にしました。
先日、九里先生から母の記念会のことでメールをいただきました。そのメールのなかで御言葉を送っていただきました。
「主に在って死ぬ死人は幸いである。
然り、彼らはその労苦を解かれて休み、
その業は彼らについていく」
(黙示録 14章 13節 )
子供のころから苦労している母親をみていたのに親孝行など何もしないで自分勝手に生きていたことを悔やみますが、主のご臨在のなかで見送る
ことができ永遠の命に預かり、悩み、心配、苦労から解き放たれて安らかにしていると信じています。
そして、これからの信仰の歩みの中で、真実は何かを見る目を備えてくださり真実を語り続けて下さる神様であると確信して歩んでいきたいと思 います。