大阪城東福音教会

私の信仰

「試練を乗り越え 希望の光を見出して」


 今年は、全世界 で流行している「コロナ」禍で気を捕らわれている間にもう半年が過ぎようとしています。3月に発生したライブハウスの集団感染から、4月7日 の非常事態宣言、そして5月25日に非常事態宣言が解除されました。しかし、未だに日常の生活を取り戻すことができていません。
 当教会では、非常事態宣言を受けて教会での通常の聖日礼拝は中止してそれぞれの家庭での礼拝に切り替えました。多くの教会でもSNSなどで ライブ配信するなどして家庭での礼拝を行っていたようです。
 そんな中で当教会では希望者だけにミニ礼拝を開くことになり、私は幸いなことに公共交通機関を利用しなくとも教会に徒歩で行ける距離に自宅 がありますので、4月からは、片道40分歩いて教会に行き礼拝を捧げる恵みにあずかりました。いつもは自転車で素通りする道も歩くと色んなも のが見えてきます。今年はお花見もなく桜の花も散ってしまいましたが遅咲きの八重さくらが行く道にあるのに気づきました。濃いピンクの花がボ タンのように垂れ下がり眺めていると気持ちが和みます。ふと道端をみるといつもは目に止めない雑草から濃いピンク色、紫色、オレンジ色などの 小さな花が咲いているのに気づき春の息吹を感じられます。自然の花がこんなにも人の心を平安にし感動を与えてくれます。

「野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働き もせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾って はいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるなら、あなたが たに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」(マタイ6:28~31)

 日に日に木々は、新録の葉から緑が増して夏への息吹を感じられるようになっています。ここには「コロナ」禍など関係なく何事もなかったよう に季節が移り変わります。私がみた小さな自然の営みですが、神様の御業の偉大なことを気づかされ、希望を見出したように思いました。

 「コロナ」禍は、神様から与えられた「試練」だと思っています。一人ひとりが一人ひとりの主と共に歩み、その歩みの中で主の御言葉を実践し ていくことで希望を見出していくことができると確信しています。

「患難は忍耐を生み 出し、忍耐は練達を生み出 し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は失望に終わることはない。」(ローマ4:5)


 フェースブックでコロナから生還した人の証がアップされていました。隔離され酸素吸入を鼻に入れられ、面会に誰もこれず、一人でこのまま死 を待つのだと覚悟していたとき、ドア越しに、一人の清掃員のかたが話かけてこられたそうです。その清掃員のかたはキリスト教の伝道師でした。 お祈りしてもいいですかと尋ねられたそうです。神にすがりたい気持ちでお願いしたそうです。その翌日から症状が改善していき、ドア越しの会話 ですが毎日清掃員のかたの来られるのを待ち望むようになり孤独からも解放され、そして退院することができたそうです。涙を流しながら証されて いる姿に感動を覚えました。私がそうであったように、いつもは神様のことなど気にもかけない人が、非力な人間(自分)を感じたとき神に立ち返 ります。世界では「コロナ」禍でリバイバルも起こっています。
 イエス様は、祈りをすべて聞かれます。聞かれない祈りはないと信じています。恐怖を感じる時、不安を感じる時、イエス様にお祈りしましょ う。
 イエス様にいつも目を向け主の正しい情報をしっかり受け取り、不安や恐怖から解放され自由になりましょう。(聖日の稲村先生のメッセージか ら)
 そしてどんな状況にあっても、イエス様から与えられる希望の光を見出していきましょう。