私の信仰
「母 の軌跡を思いながら」
2020年1月15日、母が天に召されて1年が経ちました。この日に母を偲んで、家族で集まり記念の時を持つことができた事、とても感謝でし た。
母は昭和15年9月12日大阪で生まれました。戦争という時代の中、祖母は女手一つで3人の子供を育てていました。生活は大変でした。そして母が3~4歳の頃
母のことをとても気に入っていたご夫婦の元へ養女として送り出されました。そこでは「M子」という名前で育てられました。当初は裕福な家庭
だった様ですが、事情がありご夫婦は別れ、M子は育ての母の元で暮らす事になりました。溺愛されていた様ですが、生活はとても貧しかったそう です。そしてM子が20歳の頃
育ての母は病によって亡くなりました。
一人になった母は間もなく結婚し、再び元の名で歩み始めました。それから8年後、兄が生まれ、その4年後に私が生まれました。家族4人幸せな生活を送っていましたが私が4歳の頃30代の母はリウマチを発症し、関節
という関節が痛み、手や指が変形し始め
眠れないほどの強い痛みに悩まされる日々が続きました。ひどい時は薬も効かず歩くのも困難で、身障者手帳2級の認定になりました。母の身体も大変でしたが、父も仕事の忙しさの中にありながら心筋梗塞などの大病を繰
り返し、退院したと思えば海外出張という状態で家でゆっくり過ごすことが少なかった覚えがあります。そして兄が高校生、私が中学1年生の時に
父は肺がんのため亡くなりました。母も私たちも絶望の中にありました。
そんな時母の異母妹が、大阪城東福音教会へと母を連れてきてくれました。大倉先生、福子先生は、絶望の中で背負いきれない重荷を負っている母をあたたかく迎え、一緒になって背負って下さるかの様に、心から魂から寄
り添って、真実の神様の愛 福音を宣べ伝えて下さいました。
それから教会に通い出した母は、毎週日曜日になると嬉しそうにニコニコしていたのを覚えています。その約半年後に母は洗礼を受けました。クリスチャンになったからといって
すぐに大きな変化があったわけではありませんでしたが、教会に行く度に母の心が表情が少しづつ和らいでいったことは確かでした。あまりにも多 く刺さっていたトゲが一本一本抜かれていくかのように。
そんな日々を過ごす中、今の父との30数年ぶりの再会。二人は10代の頃の知り合いでした。お互いそれぞれの人生の中で、伴侶を亡くしていました。その再会からしばらく時が経った頃不思議な様に状況が整えられ、二
人は結婚へと導かれました。母50歳頃のことでした。その頃リウマチの症状は、薬を使わなくても大丈夫な日もあり、以前よりは動ける時間
が増えていました。しかし痛みは常にあり、腕の可動範囲も狭まってきていたので、両ヒジに人工関節を入れる手術をしました。術後可動範囲
は変わりませんでしたが、ヒジの痛みはほとんど無くなり、不思議と他の関節も痛みが和らいだ状態が続き(思う様に身体は動かないとは言
え)イスラエル聖地巡り、アメリカ、ハワイ、韓国、など海外旅行へ出かけていくほどの行動力。70代前半までは、今まで動けなかった時を
取り戻すかの様に父と共にあちらこちらへと出かけては、人生を喜んで満喫していました。 (次号 中編に続く)